2015年3月24日火曜日

社会生活を営むことのハードルが高い

甘えてンじゃねぇぞこのドクズが(´・ω・`)(暴言セルフツッコミ)




どうも、病みブログ生成機Masamiデス。

なにやらここ最近メンタル維持ができずにいます。その様子が最近のブログ投稿記事からも見てとれますね。


あぁ~、ヤダヤダ、これだからお花畑の住人は…(´・ω・)=3(フッ)



不定期に訪れる病み落ち期間、これはホント厄介です。
この期間は絶望の嵐と狂気の崖縁に立っているので、「ヒト」ではなく「ヒトモドキ」になってます。

こういうこと書くと狂気っぽいけどまじでやばいということを伝えたい(´・ω・`)「あっち側」に行ったら戻ってくるのは困難なんやで。


こんなときは無闇に気を使う相手と接したりせず、一人で引きこもっていればそのうち浮上してくるのでそれができればいちばん手っ取り早いんですけど…(´・ω・`)


社会人として社会生活を営む以上、それはとても難しい。




週五日、一日八時間。

文字にすればたったそれだけでも「それだけ」ではないのは各職種どこにでもあることと思います。

生きるために収入を得ることは必要ですが、人間関係がつきまとう仕事ではしがらみが生まれるもので。

それを乗り越えるには、生来の性格やあるいは自分の仕事そのものに対する姿勢が「周囲との軋轢を生まない方向」を向いていれば良いわけです。

そうでなければ一人でする仕事を選べば良い。
雇われるのが嫌で、技術や知識・経験があるなら起業でもフリーランスでも手段はある。


どう足掻いても人とのコミュニケーションは避けられないけどな(´・ω・`)減らすことはできるよ。




けれど私のように、人と外れることに恐怖感を覚える人間にはどれもハードルが高いのです。
精神に支障があるから、普通の人にできても自分にはできないことがあるのは理解しています。

しかし「こうすべきである」「こうあるべきだ」という強迫観念に駆られて、人と違う自分を肯定できないのです。


これは個人のトラウマに因るものだから、とにかく自分自身で乗り越える外ない。

この感覚は普通の人には大抵理解されないし、多くの場合拒否、最後には排除されます。
そしてその経験が再び「人にできて自分にはできない」「自分は異質である」という負の感情を連鎖させ、「(今の自分は)違う、(本来は)こうあるべきだ」という自己否定に拍車をかけることになります。環境を変えない限り繰り返される悲劇です。


環境とは「ヒト・モノ・コト」です。

「ヒト」は自身を含む周囲の人間関係、
「モノ」は扱う仕事(職種または担当部署)、
「コト」は状況(給与・報酬などの対価、拘束時間・危険度などの心身への負荷)。


先程「自分自身で乗り超える外ない」と書きましたが、トラウマを一人で乗り超えるというのはわりに難しいです。乗り超えるためにはそれを支えてくれる人、礎となる経験あるいは智慧が必要になるでしょう。





まっ それができないからいつまで経ってもチンタラうじうじ悩んで発狂しかかってんだけどなぁ(´・ω・`)(ハナホジ)

上に書いたように、環境を変えることができないチキン・Masamiにとって、社会生活というものは本当に大変です。


甘えたこと言ってんじゃねーよなァー。ったくヨォ(´・ω・`)、ペッ






(´・ω・`)


ちょっとずつ上昇しては、叩き落とされる。
なんべん繰り返せば、この社会で真っ当に生きることが許されるようになるんですかね。


自分で自分を許さない限り、その日は決してやってきません。

(´・ω・`)しょーもなー。

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