2014年12月27日土曜日

「解釈」は認められない

個人の意見。



Twitterのタイムラインに
「天皇の憲法発言に秘められた安倍政権への強いメッセージ」
という表題で記されたコラム記事が流れてきた。

一通り目は通したけれど、まずは…

『「陛下」をつけろよデコ助野郎!』

だ(´。`)



それは置いておいて。(いや個人的には全く以て許し難いのですが。)

記事では陛下の昨年の誕生日会見でのお言葉がいいように解釈されていた。曰く、

「陛下は(その発言において)現政権に釘を刺したのではないか」(宮内庁担当記者)
---果たしてメッセージは届くのか?

……(´。`)

え?どこからツッコめばいいの?
色々言いたいことはあるけれど、これだけ。

陛下のお言葉を利用して、勝手な解釈をまき散らしてんじゃねーよ!
記事を書いた奴!お前だお前!( ゚Д゚♯)

と。

天皇陛下のお言葉に「秘められた」メッセージなどない。
仮にあったとして、「秘められた」ものがどうして暴かれようか。唯一無二の陛下にあられて、何者に陛下のお心が代弁できるというのか。


陛下のお言葉は、その立ち居振る舞いは、ご公務は、祭祀は、

それそのもの。ただ「在る」ものだ。それ以上でも以下でもない。




あー、汚いメディアを見た。(暴言)
もっといろいろ暴言吐きたいけど「解釈」してんじゃねーよと言いたいだけなので自重しておく。


以上、個人的な主張でした。
異論は認めない。

2014年12月25日木曜日

大切なものって何だ

大切にしているもの、大切だと思っているものを非難、批判されたからからといって、必ずしもその批判元に対してやり返す必要はない。

実害として危機が及ばない限り、それらは単なる意見の相違でしかなく、各々の価値観においてそれが「大切か否か」という議論に力を注ぐのは非常な疲労を伴う。

個人ごとに経験や知識を得て、
思想や志向、モラル、習慣、宗教。それぞれの価値観による「大切にしている」ものがあると思う。

けれど、「大切に思っている」ものが必ずしも「大切なもの」とは限らない。


唐突な例えだがサラリーマンの「大切なもの」は何だろう。
簡単に「サラリーマン」とラベリングして導く答えは、労働によって得られる対価のひとつ、給与による収入だ。

金銭は自分の生活に影響する。
衣食住が確保されてこそ人は安心を覚えるし、養う家族がいればなおのこと、収入を確保することは自分を含めた家族を守ることに直結する。

最低限の生活を保証できるだけの給与を確保するために労働をし、或いはより豊かな生命活動を実現する大きな報酬を得られるよう努力する。

サラリーマンを例にとったが、当然大切なものが金銭とは限らないし、ひとつとも限らない。


芸能人や工芸家にとってみれば、命に代えても守るべきと思う伝統、技術、文化があるかもしれない。

宗教家や探検家にとってみれば、まだ見ぬ世界を探求することに命すら賭してみせるかもしれない。

研究者や政治家だって、自らを犠牲にして、国のため、人のために、歴史(実績)を積み重ねているのかも。


個人が、集団が、
それと意識しているにせよしていないにせよ、命に等しく、或いは命の次に価値をおいているもの。

それらが害されようとするとき。
本当に戦うべきところはそこだ。



主義主張が違うからといって、相手を納得させるための、もっと言えば降伏させるための応酬など不毛だ。

今目の前にあるものに心を奪われて、守るべきものを見失ってはいけない。

2014年12月24日水曜日

世の中は意外と優しい

美しいものが好き。

純粋で、まっすぐなものが好きだ。

世の中は意外と そういったもので溢れているのかもしれないと

そう思うときがある。



熱が冷めない。うーん。(´。`)

2014年12月23日火曜日

熱発して脳味噌シボウ中

二泊三日の旅行から帰ってきたら、発熱して動けなくなった(´。`)

書きたいことがあったはずなんだ、何だったかな。

思い出せないから思いつくまま書き連ねるか。


HTLV-1の感染が発覚してから一年が経過したわけだが。

特に何の感慨も無く、再び年末を迎えている。


このウイルスに感染していることで、必ずしも病気の発症には繋がらない。

ガイドラインに拠れば、感染者の95%は生涯発症しないそうだ。

すげえ!(´。`)95%かよ!じゃあ大丈夫だきっと!



なんてお天気なことを言っていられるのは発症していないうちだけで、20人に1人は発症してると考えれば決して楽観視できる数字ではないと思う。

私自身、感染の事実を未だに感情では受け入れられていない。

今後の人生総てにおいて、ひとつの判断基準になるからだ。



そのひとつが異性関係だな。


このウイルス感染が判ってから、周囲の環境は随分と様変わりした。

わざわざ感染を自分から打ち明けたりはしないが、有り難いことに好意を口にして下さる異性には、必要以上の期待を持って欲しくないから、なるべく早い段階でお伝えしている。

そしたら今度は、何を思うのか 無神経にも「発症って言っても確率低いんでしょ?」なんて言ってくる。

女性から男性へ感染する可能性は低いからなおさら、簡単に言い放ってくる。



じゃあてめえが全リスクを負って私の人生の面倒見ろよ、と思う。


私が望んでも得られないかも知れない、家族や子供っていう幸せを、全部与えてみせろよ。

仮に白血病が発症しても、死ぬまで私を支え続けろ。

愛してるって言って、慰め続けて、何があっても現実から目を逸らさないと神に誓え。

それができないなら私の人生にとやかく口を挟むな。と思う。




(´。`)なんて寂しい思考か。


たかだか、ウイルスに感染しているからといって人の好意を踏みにじり、裏切っても許される免罪符にはならないだろう。

だから私は以前と変わらず八方美人のままだ。それだけ人の体温に飢えているし、一瞬でも愛情を受けていたい。

…心が貧しいとは、こういうことを言うのだよ(´。`)


相変わらずの雑な文章に加え、熱でより支離滅裂に。

これ回復したら読み返して凹みそう

2014年12月14日日曜日

_(._.)_はあーあ

相手に好意を抱いているからこそ、一歩踏み出す勇気が出ないのです。



嫌われたくない、っていう心理ね。
それが原因で、付き合いが長続きしない結果を招いてきてしまったのだけど。

私の場合は、
好きな相手と一緒に過ごす時間は 自分が満たされるから、いつでもメールして欲しいし、電話して声も聞きたい。できるならずっと一緒にいたい。

けどその欲望を上回るくらい、「嫌われたくない」って感情が生まれる。

メールしすぎたり、突然電話したり、「帰りたくない」なんて言って、相手のペースを乱せば嫌われるんじゃないか…
とか考える。

相手の人生には自分が欠片も含まれてない、と思い込んでいる。



そんでそのうち、自分が満たされないことに疲れて、どうでもよくなる。

_(._.)_はあーあ…



こんな傲慢なやつがおるかい。
自分の行動に責任が持てないから、行動せずに放棄するってさ。

馬鹿だねぇ馬鹿だねぇ。





あかん、凹んできた。

2014年12月8日月曜日

みんな違って(´。`)みんな良い

どうも。性善説が基本理念の私です。


世の中みんな良い人だらけ、って意味じゃないのよ。(´。`)





どんな人にも程度の差はあれ

良心があり、
守るべきものがあり、
痛む心を持っている。


それが表に見えるか見えないか、
気付いているかいないか、ってだけ。


そう思っています。




とは言え、人付き合い。

自分に優しい人ばかりと関わっていれば良い世界じゃありません。


いつでも、知らない人と新たな関係を築かなきゃならない機会はあって。

この観点のおかげか、人見知りで他人が怖い小心者の私でも、
「この人のことは知らないけど、きっと良い人!」
と怯える心を宥めすかして、初めの一歩を踏み出す勇気が出せる。



万人と仲良くなんてなれない。
日々の人付き合いのなかで腹が立つこともあるだろうし
傷つくことも、恨むこともあるかもしれない。
それでも、相手にも痛む心があるのだと思うと…憎めない。



この考え方って、(良い方向に行くのは当然として)悪いこともあって。

相手と良好な関係が築けなかった場合の自分の心の負担が大きいんだよね。


仮に自分に不都合な(或いは悪意を向けられるような)相手であったとしても
「その人なりの正義があるのだ」と思うと、相手を攻撃できないから。

攻撃することを是としている訳ではなくて、防御のための武器を振ることができない、と言うか。





(´。`)日本語むずかちい。



それでも私は人間なので

許容できる限界を超えれば、自分の守るべきもののために戦うこともある。


でも限界を超えちゃってる時点で、多大なストレスになっているわけで。

自分もぼろぼろになりながら、それでも相手のことを思うというのは、
本当にキツい。





(´。`)だから人間関係って面倒くさいんだよ…


みんなちがって、みんないい。
なんていう言葉は、強いもののためにあるんです。

わしみたいな小っ端には
重すぎるのです。

2014年12月7日日曜日

満月でした

最近寒くてあかん。



私の住む地域も例に漏れず、昨夜も強く冷え込んで、山間部は雪もちらついていました。

全体に曇り空だったんですが、一時はお月様も顔を出してくれて(´。`)…なんか、いいよね、お月様。



小学生の頃、親にねだって買ってもらった、子供向けの天体望遠鏡。


晴れた冬の夜に庭に運び出して、月や星を覗いて喜んでたなぁ。

(´。`)…またあの頃に戻って、夜空に浮かぶ星々をゆっくり眺めたいなぁ。




2014年12月4日木曜日

Twitterより





これは嬉しいww


(*´ω`*)ぜひぜひご覧ください

2014年12月3日水曜日

無題

病みブログって需要ないし生産性もないし全く持って無駄よな(´・_・`)


しかしチラシの裏機能としては最高で

だからこそ書かずにはおれんのだろう。



考えるのをやめよう、と思いながらあれこれと日々の心配をしてしまうのは、煩悩がそうさせるんだろう。

つまりは自律できてないってことだけど。



謙虚さや慎ましさ、真面目さをもって日々をただ静かに過ごす。
それだけなんよな。シンプルに。

2014年12月1日月曜日

Twitterより



2014年11月28日金曜日

無題

 気持ちが弱っていると、頼れる人にメールしたくなるこのひ弱メンタル…

けれど本当に送る訳にはいかないからブログで愚痴ることを許して下さい(-_-;)





 昨夜は取引先との飲み会でした。そつなくこなせたと思います。


「こなせた」と思ってしまうのが切ない。

 従業員として良い印象を残せたとは思っても、それは上司や会社のためであって自分自身の心が伴っていないのが辛い。


 取引先の方々は、とても良い方たちでした。真に組織を想い、より良くしよう、努めようとされていらっしゃる。それぞれの目標、或いは責任を真摯に受け止め、自身がどうあるべきか、組織をどう動かして行くかを真剣に考えていらっしゃる。


 私にはそんな方々がとても美しく見えた。確固たる信念を持って、ひとつの目標に向かっている。(個人の着地点やそれに至るプロセスに違いはあっても。)

 それはとても日本人的な思考(志向?)だと思います。だから美しいと思うし、それができる人々を羨ましいと思う。



 そして自分との意識の差を見せつけられて、嫌になるいつものパターン。

 「こう在りたい」と思う自分を差し置いて、「こうしたい」という自分の欲が障害になります。


 業務上のスキルや処理能力について自分を過小評価しているとは思いません。けれど、私は決して彼の人々のように真摯であれない。いつでも、解放されたいという思いがあります。労働に対してではなく、秩序ある集団の中で責任をもって生きていくことに。


 昨夜も、多くのご期待のお言葉を頂戴ました。私にはそれがお世辞には思えなかった。純粋で素直なその言葉に、歓びや感謝でなく重圧を感じてしまうことに、罪悪感を覚えます。


 期待に沿えない、期待を裏切ることがわかっていて、彼の人々に笑顔を向けることが誠実と言えるでしょうか。一時の満足のために、その場を取り繕うことが正義と言えるでしょうか。

 幼稚なことを言っていると、思います。恥ずかしいことだと。




 _(._.)_はぁ…

2014年11月27日木曜日

しょんぼりんご_(._.)_

夜の仕事というのは難儀なもので。



仕事スイッチが入っている間はともかく、制服から着替えて帰路につくと途端に空しくなる。
生活のためとは言え、必死すぎやしないかと。


_(._.)_ナイトワークは大変な仕事だ。

それを仕事にしている女性を、私は素直に尊敬する。
だからこそ、昼の仕事も夜の仕事も中途半端な今は、とてもじゃないが胸を張れない。


仕事とはよろこび(喜び・悦び・歓び)であるべきだと、理想ではそう思うし、そうなるように心掛けている。


けど、余裕なんか全然なくて。
経済的な面では、以前に比べればだいぶん楽になったと思う。

でもメンタルがついてきてくれない。

身体のこととか
かけられる期待とか
生活のこととか
家族の心配とか
人間関係とか

寂しい気持ちとか
_(._.)_

ゆっくり進んで行こうって言われたから、
追いつめるのやめなきゃなって、思うんだけどな。

2014年11月24日月曜日

とある歌の 訳詞_(._.)_頑張った

本当は原題のままが良いんだけど。
題をつけるなら、「Come up」とか、かな。






いつも隅っこに隠れてたの
自分がここにいることが、間違いなんじゃないかって思って
誰かの言うとおりにしていれば、それでいいんだって、信じてた
思い込んでいたことにやっと気づいたの

私自身が自分を縛ってたんだって、気づけたの
立てるはず無かったわ、ずっと這い蹲っていたから
怖くて身動きが取れずにいた、けど気づいたの


空が晴れたみたい
この声を、この高鳴りを聞いて
雷に打たれたように胸が震えてる
捕らえられたままだったけど、でも大丈夫
殻を脱ぎ捨てられそうなの
もう目を背けない、私の全てを受け入れるの


向き合うの、この身を焦がしてでも戦うの
私は私の主だもの 私の声が聞こえるでしょう
もう怖くない
だって私は私だもの、届いているでしょう、この声が
聞こえるでしょう、この声が




今の私は全てから解き放たれたようで
研ぎ澄まされていく、実感があるの
踏み出したんだわ、主人公になるために

捕らえられたままだったけど、でも立ち上がったわ
いままでよりずっと美しくなってゆく
この声を、この高鳴りを聞いて
どうしようもなく胸が震えてる

捕らえられたままだったけど、でも大丈夫
いつでも声を上げる用意はできたわ
もう目を背けない、私の全てを受け入れるの


向き合うの、この身を焦がしてでも戦うの
私は私の主だもの 私の声が聞こえるでしょう
もう負けないわ
だって私は私だもの、届いているでしょう、この声が





以下、訳なし。





英語はからきしダメなんで、この曲を聴いて受けた最初の印象に沿って訳詞。
直訳はさっぱり意味不明でした(英語スキルが無いから…)

でも、うん、まるきり意味が通ってないってことは無いと思う。


原曲、アーティスト情報については著作権的な縛りがあるので記載しません。
二次創作的な位置づけで、訳詞のみ楽しんで頂ければ。



この訳詞にあたっては、私個人の明確な意図を持って言葉を選んでいます。
それで痛感したのは、語彙力の無さ笑

国語って大事やで…
日本語は本当に美しいので、きっともっと綺麗な訳詞ができるんでしょうけど。
力不足です。



夏目漱石が「I love you.」を「月が綺麗ですね」と表現した話は有名ですが、今回の訳詞においてはそのエピソードが念頭にありました。

うーん、素敵だよね…


訳すのにめっちゃ時間かかったwww
途中で参っちゃって、その時間も居れれば一ヶ月弱。

スキル無さ過ぎですから…

2014年11月22日土曜日

競技場で暇つぶし

今日は姉の送迎で陸上競技場ヘ。


競技場周辺は公園整備されていて、紅葉が楽しめました_(._.)_
紅葉って日本の色よなー_(._.)_



ベンチでまったり


姉の出待ちです。_(._.)_

2014年11月20日木曜日

むかしのはなし

同性である女の子に、身体を求められたことが、ある。





高校時代。
強くて、弱い子だった。

同じ教室になることは無かったけれど、3年間を共に過ごして、徐々に仲良くなっていった。


賢くて正しく、優しく孤高で、美しい子だった。

すらりとした長い手足に、華奢な肩。白い肌にはストレートのロングヘアがよく似合っていた。




彼女にはひとつだけ、足りないものがあって。
深く尋ねることはしなかったけれど、その頃の彼女の心には、深い闇があった。

たかだか18歳の女の子が抱えるには、大きな闇があった。



彼女はいつの間にか、「守るべき存在」になっていて。
彼女もそれを望んでくれていた。

けど、私にはどうしても彼女の心の隙間は埋めてあげられなくて。

女である私には、男性からの愛情を求める彼女の要求には応えられなかった。




純粋な彼女を精神的にも身体的にも傷つけた、「異性」という存在は
彼女が強く拒絶し、そして求めたものだった。


窓から射す月明かりの下、一糸纏わぬ姿でその美しい身体を寄せてきた彼女が、泣きながら私を求めてくる。

けれど、
本当に彼女が必要としていたのは友情じゃなく。

彼女の総てを包み込む永遠の愛情だったから。




鎖骨の下に走る痛々しい傷跡を指で撫でて、
彼女の口づけを受けながら、ただ慰める外に無かった。






どんなことがあったって、彼女は彼女だ。


彼女を傷つけて良い理由を持った人間など、どこにも存在しないのに。


ただ、弱かった。
それだけで彼女は傷つけられて、彼女自身も自らを傷つけるに至った。





どうしてもっと、優しい世界に産まれてこれなかったのかな。

どうして、もっと優しい世界で在れないのかな。






私の今をつくってる、

むかしのはなし。

2014年11月19日水曜日

メモ

「良いものは良いと素直に言える自分であっていいのですよ」

他人のゴシップは何故人の目を引くのか誰か教えて

有名人に限らず、他人の浮気、離婚、恋愛遍歴にとやかく口を出す人間の気が知れない。


「非難」と書けば聞こえはいいが、中身は誹謗・中傷だ。死ねとかクズとか汚らしい言葉がよくもまぁ赤の他人に対してぽんぽんと出てくるものだ。

うるせえな、良い大人が(´。`)



その人個人の人間性に、その人の過去がどう影響するのか。それは他人が評価することなのか。


これ思い出した



2014年11月16日日曜日

聞こえない声

Twitterをやってると、日々新しい価値観に遭遇して面白い。


肯定的、否定的。

感想、意見。

感情的、理性的。


どこの誰とも知れぬ人の呟きが、時に多くの賛同やあるいは疑問を得て、場を変え形を変え、議論されることもある。

20年ほど前、アングラと言われていた閉鎖的なネットの時代も今は終わって、別次元で展開される人々の営みは、ある一定の地位を築きつつある。





ヘ(^o^)/などと適当なことを言いながら私個人が思うのは、「生きやすくなったわぁ~」ってこと。


相変わらず現実は目の前にあるし、「体面」と言う名の下らないしがらみに捕らわれることはあるけれど。

以前と違って内心を吐露する場は確保されていて、現実からの一時的な「逃げ場」としては最高の場所だろうとも思う。


こんな考えでも賛否両論あるのは承知のうえで、それでもなお私はネットの立場を前向きに捉えている。


公でない場で互いに励ましあい、認め合い、自分の考えを自分の言葉で表現できるようになったことで、共通の想いを持つ相手と巡り会う機会が、ネットの普及によって実現したのだから。

スタートはネガティブなものだったかもしれない。今でこそ、問題は多く総てを是とするのはできないだろう。



けれど現に、私は今ここで息をしている。

遠くに住むあの人が、私のこと支えてくれるのも、

私がだれかの支えになれているのも、ネットによって実現したことだから。



だから、挫けずに(挫けても!)ここまで来れた。

声に出さなくても、声が届くようになって。
声が聞こえなくても、想いを共有できるようになった。

たった2byteの文字の羅列に、温もりも息づかいも見て取れるんだから。
もっともっと良い方向に向かえばいいと思う。



…ヘ(^o^)/うん、でも肌の温もりは欲しいかなっ即物的でごめんね!
(なんか最後で自分にトドメ刺した気がする)

2014年11月15日土曜日

無題

愛は自らが抱くもの、
人に与えるものだと、教わってきました。



そして自分自身も、そう在るように生きてきました。

愛は求めるものでなく、人に注ぐもの、誰かのために降らせるもの。



けれど、そうしてるうちに。

誰かから与えられる愛の受け取り方が判らなくなりました。



心から愛している人に、心から愛していると、言われたい。
共に在りたいと、生きたいと。



(´・ω・`)…心は求めているのに、気持ちは望まない。

2014年11月14日金曜日

Twitterより





励まされた気がするので。

決して「絶望しろ」と仰っているのではないです。

2014年11月13日木曜日

朝からルンルン

ヘ(^o^)/にゅほー♪

今朝は姉から
「強風の影響で電車遅れてるらしいよ(´。`)」
と心温まる思いやりメールがあったので、いつもより早めに家を出ました。

(゚Д゚)むおーっなんだこの風はーっ




ホームは遅延した電車の影響で、多くの人でごった返していた。
構内には、20分遅れで運行していた電車が間もなく到着するというアナウンスが流れている。





…_(._.)_んむーん、いつもより乗車率高いぞこりゃあ…人多いのヤダなー





「…次の空港行き電車は、45分頃…なお、後続の電車は48分到着を予定しております…お客様に、電車の遅れをご案内いたします…」





(・ω・)…うん?次の電車、すぐくるんや、

(ピーン)ヘ(^o^)/

20分遅れの電車くる→
忙しい社会人はみんな乗ってく→
次の電車は乗車率が減るに違いない→
忙しくない私はそれに乗る→

悠々自適な通勤タイム!!!!





ホームに着いた電車に次々と人がなだれ込んでいく。冷たい風が吹くホームから、オレンジ色の柔らかな車内灯が点る景色を眺めて、扉が閉まるのを見送った。ゴン、と低い音を立てて電車が動きだす。静まり返ったホームでひとり、コートの襟を寄せた。





あの柴田恭兵似の紳士格好良かったな( ´・ω・)
まさか私と同じ考えの人が一人もいないとは…朝から良い男見たな、眼福眼福…
しかし今までの喧騒が嘘のように誰もおらんぞ、おい…あーまじせめて私があと10年早く産まれていればあの紳士の連絡先を…






遠くで遮断機の音が聞こえる。

電車の到着を告げるアナウンスが再び耳に届いた。誠実さを感じさせる声色の案内通り、すぐに次の電車が構内に進入してくる。まるで終電のように車内は人もまばらで、






 計 画 ヘ(^o^)/ 通 り

この時間に座れるとかwwwwまじかwwww






ベンチシートに深く腰掛け、マフラーをかけなおす。暖められた座席が眠気を誘った。温もりが、心を癒す。
(現金な女である)






朝からルンルン(死語)で謎テンションwwwwお仕事開始じゃwwww

2014年11月12日水曜日

にゃーす!

んあー!


遊びたーい!

遊びたーい!




長距離ドライブして

知らない土地で

知らない景色見て




にゃーす!

帰りたい…

2014年11月9日日曜日

優しさって愛なんだ

なんか最近、色んな人の目を通して、少しだけ自分が見えてきたような気がする。



○頑張ってる(無理してる)のがバレバレ
○一般的に見てそこそこの容姿らしい
○卑屈(笑´∀`)
○バカ正直で気を使いすぎ
○一般的に見てそこそこのスタイルらしい(脚が人気)


…まぁこれ、お客さんからの評価なんですけどね。酔っぱらいのほめ言葉は信用ならんけどマイナス評価はみんな本当にそうだろうと思うので、精進します。



それとは別に最近気付いたのは、自分の宗教観念の強さ。

なんか一般的じゃないらしい。(そもそもさっきから「一般的」て何や)


先日、神戸で震災の爪痕を初めて目の当たりにして思わず十字を切ったのだけど
あの日から私の中の何かが変わってしまったようで。

変わったと言うか、解放されたのかな。


思春期に神様を裏切ってからずっと、カトリック信者として祈りを捧げることができずにいたのだけど、あの日初めて、祈ることを赦された気がしたんだ。


そのことに気付いてから涙が止まらないでやんの。

これまで神道に縋ってキリスト教に一線を引いていたんだけど
それもなくなって。


自分に対する純粋な愛情が、少しだけ芽生えたような気がする。




気付くきっかけをくれたのは、私に限りない優しさをくれた人々なのだと思います。

ここ数ヶ月でたくさんの出会いがあって、交流を重ねて。
今までの人生でいちばん、人から優しくされたと思う(笑´∀`)



おかしいなー

悲しくないのに涙が止まらないんだ

人の優しさってのは愛だと思うから

心底欲していた愛が今 すぐそばにあることに気付いて

胸が苦しいんだなぁ。

2014年11月5日水曜日

よくわからない感情

健康診断を終えて会社に向かう道すがら、舗装工事を行う区間に差し掛かった。


片側一車線の狭い街路で、誘導員が3人、それぞれ連携をとりながら通行車両を流していく。

アスファルトを取り除いて路面に段差ができている箇所では、通る車の一台一台に判りやすいゼスチャーで悪路を示す。意図に気付いたドライバーは、同乗者や積み荷に影響がないよう十分に速度を落として通過していく。


歩行者や自転車の通行にも気を配りながら、互いに声を掛け合い安全な通行、安全な工事を支えている。

そんな人たちに感謝を込めて「ご苦労様です」を笑顔を向けると、少し驚いたような顔をして、それでも手を挙げ、にこりと笑ってくれた。



何でかなあ。

嬉しくって涙ぐんでしまう。
励まされるような、そんな気持ち。

2014年11月4日火曜日

怪我して落ち込む

イカ捌いてたら手がすべって



親指の爪ごと皮膚を切り落とす



おいやめてくれよ…
昔から怪我や痛みには強いので
このハプニング自体はどうでもいいけど


爪が…


爪が…!


私がここまで爪を伸ばすのに、
どれだけかかったと…


20年来の爪噛み癖と最近になってやっとオサラバできそうというのに!


凹む。

2014年10月31日金曜日

どうでもいいこと

都合のいい女です。

八方美人、誰にでも良い顔をするような性格です。




なんか八方美人って、印象よくないらしいけど、何で?

誰にも嫌われたくないから誰に対しても良い顔するって、何があかんのかね(´・ω・`)


もともと「どっから見ても良いオンナ」って意味の言葉を今みたいな皮肉った使い方してるのって、そもそも言葉や人を軽んじすぎだろ。


まぁ、冒頭の書き出しは悪い方の含みがありますが。





(´・ω・`)んで、何、八方美人?

四方八方に良い顔できる人って、実際そう居ないと思うんだよね。


できる人はそもそも「八方美人乙www」なんて言わせる余地もないだろう。



なのでこの言葉を他人に対して善くない意味で使うような人は、
そもそも底意地が悪いと思います。



(´・ω・`)私も人のこと言えねーよ。



_(._.)_辞書には「誰にでも如才なく接する人」って載ってるんだってさ。


素敵やん。

2014年10月30日木曜日

慣れてきた☆彡

ダブルワークに。_(._.)_(ゥッ)



ダブルワーク始めて2ヶ月が経過しまぴた。


5時間睡眠に慣れ(でも7時間半は寝たい)
1日1食生活に慣れ(でも3食食べたい)
12時間勤務に慣れ(でもその日のうちに帰りたい)
駅までの徒歩通勤に慣れ(でも遠い)

諦めることに慣れた



いや慣れてへん‥




正直いま
国民年金も国民健康保険も滞納してんねんけど
(先月分までの滞納ぶんは、今月の夜バイト代で先日納めました)


これ頑張って払ったところで
また同じことの繰り返しなんだよね。


デスマーチ?


いや


身体が担保の

自転車操業?




まじウケるんですけどwwww

_(._.)_

2014年10月28日火曜日

短い秋

通勤電車の車内のこと。



JRと市営地下鉄の接続駅で、引き継ぎの車掌さんがしてくれたアナウンスが嬉しかった。

マイクを入れて第一声。
「おはようございます」


それから一呼吸おいて、落ち着いた声で行き先案内。乗降時の注意喚起。


抑揚はなく淡々としているけれど、凛として聞き取りやすく、余裕のある発声がプロだなと思う。
なんでもないようなことだけど嬉しいと感じたのは、はじめの挨拶の印象が良かったからだろうか。


秋風を受けながら、ただ静かに暮らしたい、なんて贅沢なことを考えている。


ここのところ社長の意向で新しく任される仕事が増えてきた。
責任が重くなるにつれ心の負担も増えてくる。
やるべきことをこなしているだけで、やらざるを得ないことも増えてくる。


またすぐに冬だ。
寒いの苦手なんだよなぁ。

2014年10月22日水曜日

「カネを払う」は「敬意を払う」

お金の価値ってなんじゃらほい



紙切れや金属にそれそのもの以上の価値があるとするのは、「そういう約束だから」という信用に依るものということは皆さんご承知の通り。



接客を仕事にしています。

小売店やサービス業、飲食店など学生時代のアルバイトも含めて、多くのお客様に関わらせて頂きました。



私達(提供する側)と、お客様(提供される側)の関係というのは、お金で結ばれている訳です。

(総ての接客業において必ずしも金銭のやり取りが発生するというものではないでしょうが、ここでは便宜上。)


生々しくシビアな関係上、お客様それぞれの「お金」に対する価値観、或いは評価に触れる機会はとても多いです。


物事を「買う」ためのお金か、

物事に「払う」ためのお金か。


もっとわかりにくく言うと(!)
ただの紙切れや金属に、
「額面通りの価値を持つ」か、
「媒介として以上の価値を持たない」か。


お客様ご自身がその商品やサービスを得るために、どんな想いがあってのことか‥は、それぞれの嗜好や状況によって変化するものです。

なので、上記のような価値観も、その時々で変化しながら併せ持っているものと思います。




そんでこっから私の話。


自分が接客する側の人間であるというのもありますが、
私は自分の欲しいものを得るためににお金を使うとき、


その物事に関わる総ての人に、一緒に敬意も払いたいのです。


例えば、直接やり取りしてる店員さんだけではなくて、
その向こう側にいる、バイヤーや生産者、流通業の方々などなど。


そういった無数の手を渡って、商品やサービスが目の前に提供されるわけです。どこかで誰かが欠けてしまえば成立しない。



牛丼一杯にしたって。
家一件にしたって。

降って湧いたものじゃない。


全員にお礼は言えないから、心を込めてお金を払う。

せめても目の前の人に、笑顔と想いを返す。



それで何かが産まれる訳じゃないし、ただの自己満足なんだけど。

なんか、気持ちがいいんです。





_(._.)_ふぅ。オチなし。


これ書くの大変やった‥
語彙のなさで、上手いこと簡潔に伝えられないな。(´。`)ふぅ

タイトルとも微妙に逸れてるしw

なんとなくわかればいいやw(このブログはこの調子でずっとやって行きます)

2014年10月21日火曜日

ご一読を

10月20日、皇后陛下が傘寿のお誕生日をお迎えになりました。


宮内庁の公式サイトにお言葉とご近影がアップされています。
皇后陛下お誕生日に際し(宮内庁)

2014年10月18日土曜日

癒されすぎて溶けそう

ブログを表示 Masa味噌(仮) · 投稿 癒されすぎて溶けそう 公開 保存 プレビュー 閉じる 作成HTML リンク 旅に出ています。



子供の頃から筋金入りの引きこもりです。
中学3年生から外に出るようになりましたが、義務感だけで今日までやってきました。



そんな私の息抜きは、愛車であるスズキ アルトに乗って旅すること。

誰も私のことを知る人はいない
そんな場所ならどこでもいいのです。

決まった土地に何度も訪れることもあれば、
何らかの目的を達成するためだけに走ることもあります。



今日は、たまたま呼び出された実家に向かう途中、
頭のなかで何かが弾けて。



そうだ、もうこのまま走り抜けよう。

と、着の身着のまま来ました。


‥まぁ、予感はしていたというか、準備はしていたんですけどね。
助手席に相棒(写真)を載せて。









ああ。
幸せ。


今夜は間借りをさせてもらって。
相棒と一夜を過ごします。


今だけは
私が「私らしくして」いなくていい時間です。


好きな匂いを胸一杯に吸い込んで。
おやすみなさい。 投稿の設定 ラベル 日記 スケジュール 2014/10/18 21:32 日本標準時 パーマリンク 場所 オプション フィードバックを送信

2014年10月17日金曜日

ひっそりんごお引っ越し

お腹がキューン





某所で日記を書いていましたが


ある日突然の頭痛に襲われて


「文字数が足りぬ!ブログに移行するのじゃ…」(キュピィーン)

と天啓が下ったので、持ってたGoogleアカウントでブログを開設しました。




(適当☆)