2015年3月30日月曜日

同じ道じゃないなら道標べも違うでしょ

輪廻転生、六道輪廻など学生時代に習った憶えがありますか?


仏教由来の言葉ですが、六道とは以下の六つの世界を表しているそうです。

天道
人間道
修羅道
畜生道
餓鬼道
地獄道

私は仏教徒じゃないし勉強もできない子だったので細かな定義やその概念については専門家の方にお任せしますが、この世に生きとし生けるものはこの世界のどれかに属しているようです。


人の形として産まれて、心の有り様がそれぞれの道に属するのだとしていたり、人と人ならざるもの(動物、虫など)教えによって様々な解釈がなされています。



―――と、以前そんな話を知人としたのですけれど。


ふと思い出して「ああ」、と得心がいったことがあります。

生まれいでた世界が違うなら、相容れないのは当然だよな。と。


私は宗教というものは個人の生きる指針であり、その教えとは自戒であると解釈しています。

私自身は生まれながらのカトリックですが、だからといって敬虔な信者でもなく今は宗教にボーダーも引いていません。


他宗教であろうが自分が良いと思うものは取り入れ、カトリックの教えであろうが違うと思うものは流す、それだけの簡単な考え方です。分類によっては無宗教とも言えるでしょうか。

その前提で話を六道へ戻すと、人付き合いを考えるうえでまぁ都合のいい勝手な解釈ができるんですよね。


相容れない人とは生まれた世界が違うのだから、理解しあえなくて当然という解釈です。


自分がどこの世界に属しているか、なんてのは問題ではなく、次元が違う者同士である以上、互いに発見しあい、歩み寄りを試みないことには理解は得られないということ。
当然ながら一方通行で理解の道を開通することはありえません。それができるのは同じ道を歩む相手同士だけです。


つまり何が言いたいかっつーと、


理解できないくて意味不明で気に入らないからって相手を攻撃するなんてナンセンスだし、
いっくら言葉を重ねても理解されないからっていちいち腹を立てるのも、

育ってきた環境が違うから!!

違う生物ならしょうがないよ、ってことです



急に六道なんて話を持ち出して、宗教論争でも起こそうかというつもりはないです。ちょっと例え話にちょうどいいなと思っただけなので、不勉強なのはお許しください。

気が向いたらそのうち勉強します

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