2016年5月31日火曜日

28年無駄に生きてきた

凡夫一人で何かできるなんて思うな、おこがましい。



誰かに何かを与えられるなんて驕るな、汚らしい。



自分一人の面倒すら満足に見られずに、どの面下げて陽の下を歩くか。






ええ、ええ。全て自分自身に向けた言葉で御座います。

卑下では御座いません、ただただ己に対する戒め、それ以上でも以下でもありえないのです。






辛すぎる。

2016年5月26日木曜日

静かに死んでいくつもりはない

守りたいものがあるのなら、戦う選択をする。

そろそろ「巣籠り」ブログも卒業ですかなー。(´ρ`)

新しい名前考えなきゃ。




(カチッ)

フーーーー。スパーーーー(´ρ`)y-~~~~~



自分の守りたいものって、何かな。何なんだろう。

自由かな?家族かな?夢かな?それともお金かな、命かな?



フーーーー。スパーーーー(´ρ`)y-~~~~~



何でもいいんだけどさ。



ちゃんと創っていきたいんだわ。

生産していたいんだわ、いつまでも。

発展していたいんだわ、最後まで。



安泰も安定もさ、自分で勝ち取っていかなきゃありえないわけ。



欲を減らす、節制する、こつこつ積み上げていく。

それも大事さ。自律するってこと。



でもそれが行き過ぎて

やりたいことを諦める、我慢する、無理をする ってなるのって、違うと思うんだ。



想いが強いほど、手をかければかけるほど、守りたいもの、守るべきものはどんどん大きく重くなってく。

守りたかったものが重荷になって、足かせになって、守る力もなくなって、自分をゆっくり殺してく。

最後には守り切れずにとどめを刺される。



それって違うと思うんだぁ。誰も幸せにならない。



本気で守りたいって思うなら、守り抜くだけの力を持ってなきゃ。





フーーーー。(´ρ`) ~~~~ 最後のアメスピなくなっちゃった





100の力を出し続けて徐々に疲弊していくくらいなら、

すぐには無理でもいつか20の力でそれを軽々守れるくらいになればいいと思うの。


そんな力がないっていうなら、そもそも守るべきものが重すぎるんだよ。

重さを80減らせば、ほら、軽々。

守り切れずに失ってしまうよりマシでしょ。




最近のMasamiさんはすぐこうやってハードル下げたがるなぁ(´・ω・`)ヾ

なんでもてきとうがいちばん。




そんなことより「俺の守りたいものはMasamiだ!!」って言ってくれる紳士との巡り合わせを切望します。(オチ)


2016年5月20日金曜日

怖いほどにドライになっていく自分に手向け。

何がきっかけだったのか、本当に思い出せません。

思い起こせば昔からこういう気質だったのかもしれないとも思う。






人からよく「理屈っぽい!」と言われます。

自分の感情や行動になんやかんやと理由をつけたがり、人の感情や行動になんやかんやと説明をつけたがるのです。


しかし一方で、思い付きで即行動、即判断。

そして「わけわからん」と言われるのです。



んんんんんー??



そのへんよくわかんないんですけど、私自身は自分のことを理屈っぽいとは思わないし、ちゃんと考えて行動してるつもりなんですけどー?



………。


それでもちょっと前までは、そんな風に言われる自分がおかしいのじゃないのかと頭を悩ませていました。




いやいや待てよと。



ただ人と基準が違うだけでしょ。そういうことって、よくあるでしょ?


人と得意分野が違うだけ、ちょっと人より苦手なことがあるだけ。
何の矛盾もしてません。少なくとも私の中ではな。





昔からわりと人の感情に対して過敏な部分があり、相手の感情に自分の感情を沿わせることが多かったように思います。感受性が強いというか。(相手の感情に気付けるのとそれに適切な対応をとれるのはまた別の能力だと思います。)


しかしここ最近はわりと感情移入しないようになってきました。無感動。

想像力が無くなったってわけでも無いですが、相手が泣いたり怒ったりしてても自分が一緒になって感情的に振る舞うことができなくなっているというか。



「相手の立場になって考える」のと「相手と同じ立場に立つ(立ったつもりになる)」のって全然違うんですよね。



今は私が私として相手とどう向き合うか、ということに関心があります。


このへん、すごく難しくて。






多くの人は相手に共感を得られることで安心するでしょう?

世間話だって、本気の悩み相談だって、まぁなんでもいいんですけど、自分が相手に対してアプローチして、相手から同意されたり認められたりすることって快感じゃないですか。


これまでは相手に対して共感を感情で表現できてたんですけど、今はそれがとても難しい。
何かしら反応をもって相手の気持ちに沿いたいと思うのだけど、どう表現したものか、わからないのです。



対面で話してたらそりゃ共感はできます。
でも、単に、「全くその通りだね」という言葉や表情が現わせられないんです。


正解でなくてもいいのに、最適解すらわからない。




表題に「ドライになっていく」と書きましたが、いまいちこの状態である自分が「ドライ」と言えるのかどうかもわかりません。

無感情になったわけでもないのに、リアクションがとれない。
なんだか防具を脱ぎ捨てて剥き身になったみたいで、戸惑っているんです。




んんんんん~~~……。



そんで、まぁ、最近は、以前私が人に向けて使っていた言葉を思い出します。


「今はわかんなくても、まぁ、そのうちわかる日がくるよ。わかんなくていいよ」、って。
(バリエーションとして「今は辛いけど」などがあります)



戸惑ってるのも、今のうちだけ。
きっとそのうち答えが見つかるんだと思います。



モヤモヤしてるけど、これもまぁ、何かしらの通り道なんでしょう。
わりとちょっと辛いんですが、きっとなんとかなるんでしょう。



うん。まぁ、心配すんな、私。

2016年5月8日日曜日

旅はいいぞ!!!!その4、おわり

この地図作る作業って地味に大変やねん(距離が長いから)




う、うわぁ……。



福島見物も終わったし、「さぁあとは帰るだけー」っていう私の心が映し出されているように、まっすぐ帰ってますね(∩´∀`)∩


埼玉で一晩の部屋を貸して下さったご家族の方にご挨拶をし(というか顔を出して下さった)、友人と共に途中まで一緒に走りました。

長野県に抜ける急勾配の山道を、軽2台でブイブイ言わせながら…(笑)相手はS660なのでついていくの必死でした。

旅行中ずっと天候には恵まれていたんですが、この日は特別気持ちのいい日で。
空は抜けるように青く、木々を抜けて清涼な風が肌に当たって。

目に映るのはやっぱり九州とは違う山脈と植生。どこを走っていても植生の違いというのは面白いのですが、天気の良さも相まって異国に来た気分でした。



友人に見送られて引き続き山道を走ります。

正直言って軽で走るような道じゃないし、別荘地に向かうでっかいクルマ(外車だったり4駆だったり)に追い立てられるように走ってたんですが、そこはまぁ、MT車ですから。がんがんに引っ張って「なんだ坂、こんな坂、」と走り抜けました。



滋賀に出ると、あとは京都→大阪→兵庫→…とわりと何度か走って見知った土地(だいたい高速道ですけど)に出て、ほぼひたすらに国道2号線を南下していく旅でした。この頃になると「帰る」だけの作業でしたね。

大阪府枚方市や兵庫県神戸市、広島県廿日市市なんかは思い入れがあるので走ってて楽しかったです。でもやっぱ都会は交通量多くて走るの怖い。


九州に入って3号線に出たときはほっとしました。
走り慣れた土地だなーって感じ。




お疲れ様でした。

長い長い旅でした。

終わってしまえばあっという間だったような気もします。けれど、いろんな土地で見たいろんなものは、ひとつひとつが大切なものになりました。


またいつか旅に出られればいいなと思います。


明日から日常に戻るけれども、もう今までの価値観ではいられないなと、感じさせてくれた旅でした。

2016年5月7日土曜日

旅はいいぞ!!!その3

昨夜、無事に福岡に帰って参りました。


今日やってたことって言ったら…

爆睡かな(*´ω`)びっっっくりするくらい寝てました。



さて今日は5・6日めの行程です。

例によって使用した道の記憶があいまいです。ナビが8年前の購入当時のまま更新されてないのでなかなかに冒険でした。





長岡から北上して新潟に入り、峠を越えて郡山へ向かいました。

んー。新潟っていいところですね、資源も産業も豊かで、上手いこと自然を利用して人々が生活を営んでいるっていう印象でした。

ここで買った米菓は最終日まで旅のお供になりました。安いしうまい(*´ω`)mgmgmgmgmg



福島に入って猪苗代湖を超えてからは景色が変わりましたね。


一貫して「何も無いな」って印象。
そう言うと誤解を招く表現かもしれませんがちゃんとお店や住宅もあれば栄えた場所もあります。


新潟側から入ってきたせいか、土地の豊かさや産業の賑わいみたいなのが感じられなくて、落差やべーな。っていうか。
被災前の福島を知りませんので、現時点で私が抱いた感想です。。

でもいわゆる「宿場町」が道中にありまして。
昔からの街道沿いですね、そういった小さな集落にそれぞれ新しく綺麗な施設が(お土産物屋さんとか)設置されていて、人々も溢れて、そんななかを宿場町から宿場町へと走り抜けるのはとても楽しかったです。



あと飯がうまい。

魚はやっぱりうまい。被災後は徐々に水揚げ可能魚種が回復していっているそうで(現在72種/前150種)、こんなうまいもの食べさせてくれるなんてもう関係各位には感謝しかないです。
みんなこんなにがんばっている。

【震災から5年】「漁業」 試験操業拡大進む 原発半径10~20キロ 海域追加も視野 | 東日本大震災 | 福島民報
http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2016/02/post_13327.html



「5年経って、みんな震災のことを忘れつつある」なんて声がありますけれど、それはそれとして仕方のないことだと思います。

当事者はともかくとして、部外者っていうのはいつでもただのギャラリーでしかないです。自分たちの生活が第一ですから、それは時が経てば経つほど忘れられていくものでしょう。

じゃあどうしたらいいの、って、憶えている人が忘れずにいるほかないんじゃないでしょうか。

自分は自分として、忘れない気持ちを持っていればいいんじゃないでしょうか。
たまに思い出して、やれることをやればいいんじゃないでしょうか。


だってそれしかねーべ。


今回の熊本大分地震を受けて福島行きを決めましたけれど(このへんの動機については割愛)

熊本も大分もよく知っている街だし
神戸も新潟(は今回たまたまでしたが)も自分の足で行って見ました。

それから福島。


そんで思った感想ってのがさ、「最後は自分たちで何とかせんといかん」ってことでしたよ。
受けたダメージから回復して、失ったものを取り戻すまでってすごく時間がかかるんだなって。

失ったものって、財産とか産業とかそういうものですけど、全部ひっくるめて「時間」なんですよ。
自分たちは復興のために日夜がんばる。そうこうしてる間に社会はめまぐるしく変わっていくわけです。

そこから置いて行かれる、あるいは「いつまで経っても『被災地』扱い」。ってどうなんでしょうね。


でもそこに住む人々っていうのは、昨日まで我々と同じようにいつもの日常を過ごしていたわけです。
その日常を取り戻すのって、最後は自分たちの力でしか無いんですよね。



「こら大変ばい」
って思った。





もう少し時間があったら仙台とか行ってみたかったです。(この頃は旅程に余裕が無いと思ってました。)




長くなってしまった。


福島市で一泊した翌日は相馬双葉周辺をうろうろしたのち、高速道路で水戸まで移動、その後は都市部を避けて一般道に下り、行きついた埼玉県の友人宅で一泊させてもらいました。
お父上のお手製親子丼にお味噌汁とトマトときゅうり…美味しくて美味しくて暖かくて…一宿一飯の恩義、忘れません。



さて、折り返しに入りました。


帰るまでが遠足です。旅は続く。

2016年5月4日水曜日

旅はいいぞ!!その2

現在地は岐阜県可児市です。現在時刻21時前。


疲れがピークで現在いる道の駅でもう寝たいんですけど、暗いしもうちょっと走ります。

休憩がてら、ブログを書いてテンション緩めるよ。





えーと。

3日目は諸事情により負傷しました。
大したことないです。ちょっととある温浴施設の古いドライヤーがショートして腕を火傷したくらいで。
自分で運転できないので、施設の人に病院に連れて行ってもらいました。


4日目に琵琶湖を出発して、新潟県長岡市まで。

ルートの詳細はちょっと覚えてないのでおおまかですが、上の地図のような経路をたどりました。



私…日本アルプスってみたことが無くて…この日初めて、富山県・新潟県側から「それ」と認識したんですけれども。


壁なのな。あれ…もう何…なんて言うの、壁としか言えない。怖い。自然怖い。


この日はめまぐるしく景色が変わって、とっても楽しかったです。

住宅の建築様式が変わったり、田畑の作物が変わったり、見たことないお店があったり、目が回りそうなくらい。



さて、この翌日はついに福島県へ進入します。



……。


ブログも書いたし、改めて出発するかな。現在時刻は、22時。


随分冷え込んできたから、ローソンで暖かいカフェラテ買って、飲もう。