2015年7月26日日曜日

出会いの話4 受け入れる相手を選ぶこと

これを読んでいる人は、「運命」を信じますか?

異性として、「あなたと出会ったことは、運命だ」と
その都度異なる人物から何度言われても、


それでもまだ「運命はある」と信じられますか?








出会いの話シリーズよんかいめ。シリーズ一覧

今回のテーマは書くのが難しくって、ずっと放りっぱなしになってました。

冒頭の問いかけは実際内容と関係ないです。






夜の仕事をしていた(過去形)り、人に対して生やさしくしていると、男性からお声がかかることがたまにある。
私の何を気に入ってお声掛け頂けるのかはわからないけれど、まぁ…


もともと喪女(モテない女)だった私が、男性からのモーションに喜ばないはずはなく。

元来もっている承認欲求を満たしてくれる相手は神様のように見えたし、異性から優しくされることが奇跡のように思えた。




異性に免疫がないというのは危険だと思う。


その瞬間、自分に対して甘い態度や言葉をみせている相手がどんな人間か決して疑う必要はないけれど、相手の総てを受け入れるなんて当然しなくていいはずなのに。


自分を認めてくれる相手を、それだけで有難がって、信じ切って、信奉してしまうなど。





やさしくしてくれるその人たちは、最終的には往々にして、「ホテル行こう」なんて誘ってくる。

嫌われるのが怖いから、否定されるのが怖いから、相手のプライドを傷つけるのが怖いから、とても断りづらい。

そんな私が招いた数々の結果はご想像の通りです。



今は、無条件に信じ切ってしまうなんてことはなくなりました。

だけど、気質は変わりません。



博愛精神など何の意味もない。

人に親切にされたほうが嬉しいとか、
受け入れてもらったほうが安心できるとか、
気を使ってもらったほうが楽だとか。


「自分がされて嬉しいと思うことを人にもやってあげましょう」を実践した結果がこれだよ。

結局自分も相手も傷つける。




同性であっても異性であっても受け入れる相手を選ぶこと、は、傷が深くなる前にやるべきなんだと。思います。

それが誠実か不誠実かなんてのは私にはわかりません。
ただし、多くの人の目には私のこの気質は不健全に見えるはずです。私自身はそう思います。


だから、人を選ぶということをしなければなりません。



そう言い聞かせながら今日まできています。


そう思いながら、常に葛藤しています。



優しくされたら優しくしかえしちゃいかんのかと。

人に優しくされないと、人に優しくしちゃいかんのかと。



自分の心で相手を受け入れることが、仮に自分の身体で受け入れることになっても。

刹那であっても相手を愛おしいと思ってはいかんのかと。







わかってんねんー

モラル的にやばいとかさー。

人として間違ってるとかさー。

カトリックの教義としてどうなんかとかさー



あーーー


だから一人で生きたいと思うねん。

4 件のコメント:

  1. 出会いも仕事も宗教も政治も買い物も
    甘い軽やかな言葉で近ずいて来るのにマトモな事あるかな?
    自分で何かを探して選べる力が整うまで無理せず巣篭もりなさい☆

    返信削除
    返信
    1. コメントありがとうございます(*´ω`*)

      仰る通りだと思います。
      今は選べる力を養わないといけませんね。

      削除
  2. 冒頭に自身が書いていますよね
    双方が、「運命」を感じれば「運命」でしょうし、そうでなければ、ただの口説き文句ですよね。
    言葉にしない思いと、言葉にする思いとどちらが大切か。。
    いちいち言わないですよ。言葉が軽くなるから。
    「運命」なら運命的な事象がありますよ。。モテ期なんでしょうね。。
    今も有るなら、巣篭もりしなさい!

    返信削除
  3. コメントありがとうございます(*´ω`*)

    私は運命は信じていないんです。
    ただ淡々と日々を過ごしたい、とそう思っています

    返信削除