出会いの話シリーズさんかいめ。
今回の話は非常に悩む。
書き方に悩む。
この出会い話はちょっと手に余る。
そのくらい大きくて、それにたぶん、私のスキルが足りない。
それでも書けることを書きたい。
家族とも、友人とも、恋人とも、恩人とも違うベクトルで大切な出会いだったと思う。
その総てを超えてしまっているからだ。
たかだか27年間の人生で、何を語れるだろうか。
私はその人を崇敬しているんだろうと思う。
それ以外の言葉が見つからないほど、彼の人に貰ったものは大きかった。
ただただ静かに、深く、私という人間を受け入れてくれた。
HTLV-1の感染発覚を機にSNSで日記を書き始めた頃、私は自棄になっていたと思う。
誰も受け入れてくれなくたって構わない、けれど私は私自身の美学で生きるのだと声高に主張していた。
人に媚びないことで当然批判も受けたけれど、そんなことはどうでも良かった。
それくらい、他人の優しさを信用していなかったし、信用されてもいなかった。
そんな私の文章を読んで、コンタクトをとって下さった方がいた。
とある治療分野で最先端の、その更に先にいる方で、仮に「先生」と呼ばせてもらいたいと思う。
先生が私に興味を持って下さったのは、何故だろう。
説明できる理由はそのやりとりのなかで散見できるけれど、正直、それは些末な問題だと思える。
きっかけは何であれ、
「SNSで日記を書いてる人」
「27才のバツイチフリーター」
「ウイルスに感染してるキャリア」
そのどれでもない、一切のフィルターを通さずに、
「ひとりの人、ひとりの女性」として接してくれていたからだ。
ご自身のお仕事について、ひとつひとつ私の質問に答えて下さったり、趣味や嗜好の話をしてくれたり、
私の価値観の話、好きなこと、嫌いなこと、怖かったこと、罪の告白を静かに聞いてくれたりもして下さった。
知識も経験も学もない私を、丁寧に、尊重して扱って。
私が図々しく先生ご自身の世界の一端に触れることをも許して下さって。
自分を受け入れてくれる存在が本当にこの世にいるのかと、そう思って疑い怯えることすら深い心で赦してくれて。
そうして、自分自身を赦すことを教えてくれたのが先生でした。
こんな書き方をすれば、公開した記事を読んで苦笑いしている先生の顔も浮かぶのだけれど(笑´∀`)
今も時々、互いの近況を語るメールを続けている。
昼夜の無いお仕事のために、現在も多忙極まる生活を送られているはずだ。
それでも相手の身体を気遣うメールの一文に、常に変わらない優しい暖かさを覚える。
私も先生のように、誰かを助けられる人になりたいなぁ。
ほんとうは先生に恩返しできれば最高なんだけど、隙が無いんだなぁ。
きっとこの先もずっと、助けてもらうばかりなんでしょうけれど。
先生から卒業はできないだろうなぁ(笑´∀`)
もうちょっと、きちんと表現ができるようになったらそのうち書き直すかもしれません。(笑´∀`)
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