2014年11月16日日曜日

聞こえない声

Twitterをやってると、日々新しい価値観に遭遇して面白い。


肯定的、否定的。

感想、意見。

感情的、理性的。


どこの誰とも知れぬ人の呟きが、時に多くの賛同やあるいは疑問を得て、場を変え形を変え、議論されることもある。

20年ほど前、アングラと言われていた閉鎖的なネットの時代も今は終わって、別次元で展開される人々の営みは、ある一定の地位を築きつつある。





ヘ(^o^)/などと適当なことを言いながら私個人が思うのは、「生きやすくなったわぁ~」ってこと。


相変わらず現実は目の前にあるし、「体面」と言う名の下らないしがらみに捕らわれることはあるけれど。

以前と違って内心を吐露する場は確保されていて、現実からの一時的な「逃げ場」としては最高の場所だろうとも思う。


こんな考えでも賛否両論あるのは承知のうえで、それでもなお私はネットの立場を前向きに捉えている。


公でない場で互いに励ましあい、認め合い、自分の考えを自分の言葉で表現できるようになったことで、共通の想いを持つ相手と巡り会う機会が、ネットの普及によって実現したのだから。

スタートはネガティブなものだったかもしれない。今でこそ、問題は多く総てを是とするのはできないだろう。



けれど現に、私は今ここで息をしている。

遠くに住むあの人が、私のこと支えてくれるのも、

私がだれかの支えになれているのも、ネットによって実現したことだから。



だから、挫けずに(挫けても!)ここまで来れた。

声に出さなくても、声が届くようになって。
声が聞こえなくても、想いを共有できるようになった。

たった2byteの文字の羅列に、温もりも息づかいも見て取れるんだから。
もっともっと良い方向に向かえばいいと思う。



…ヘ(^o^)/うん、でも肌の温もりは欲しいかなっ即物的でごめんね!
(なんか最後で自分にトドメ刺した気がする)

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