2014年11月28日金曜日

無題

 気持ちが弱っていると、頼れる人にメールしたくなるこのひ弱メンタル…

けれど本当に送る訳にはいかないからブログで愚痴ることを許して下さい(-_-;)





 昨夜は取引先との飲み会でした。そつなくこなせたと思います。


「こなせた」と思ってしまうのが切ない。

 従業員として良い印象を残せたとは思っても、それは上司や会社のためであって自分自身の心が伴っていないのが辛い。


 取引先の方々は、とても良い方たちでした。真に組織を想い、より良くしよう、努めようとされていらっしゃる。それぞれの目標、或いは責任を真摯に受け止め、自身がどうあるべきか、組織をどう動かして行くかを真剣に考えていらっしゃる。


 私にはそんな方々がとても美しく見えた。確固たる信念を持って、ひとつの目標に向かっている。(個人の着地点やそれに至るプロセスに違いはあっても。)

 それはとても日本人的な思考(志向?)だと思います。だから美しいと思うし、それができる人々を羨ましいと思う。



 そして自分との意識の差を見せつけられて、嫌になるいつものパターン。

 「こう在りたい」と思う自分を差し置いて、「こうしたい」という自分の欲が障害になります。


 業務上のスキルや処理能力について自分を過小評価しているとは思いません。けれど、私は決して彼の人々のように真摯であれない。いつでも、解放されたいという思いがあります。労働に対してではなく、秩序ある集団の中で責任をもって生きていくことに。


 昨夜も、多くのご期待のお言葉を頂戴ました。私にはそれがお世辞には思えなかった。純粋で素直なその言葉に、歓びや感謝でなく重圧を感じてしまうことに、罪悪感を覚えます。


 期待に沿えない、期待を裏切ることがわかっていて、彼の人々に笑顔を向けることが誠実と言えるでしょうか。一時の満足のために、その場を取り繕うことが正義と言えるでしょうか。

 幼稚なことを言っていると、思います。恥ずかしいことだと。




 _(._.)_はぁ…

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