2015年2月5日木曜日

そっとしておいてほしい

期待が辛い。

期待に沿えないことが辛い。



イレギュラーが許されないなら存在価値ないんだっつーの。

私が出来損ないだとわかった子供の頃に

何で始末してくれなかったんかな。

わかっとるわ、できるはずないことくらい。

ならばせめてと、できるだけ誰にも迷惑かけずに生きていきたいから

目の前のことを必死こいてやってるだけなんやって。



それだけじゃアカンのかと。

根暗だろうが 臆病者だろうが 偏屈だろうが

与えられた仕事をこなしてる。

それだけじゃアカンのか。



「いつか」のためにちゃんと自分に保険もかけてる。

行かせてもらった短大の奨学金も返してる。

そのために生活が苦しいから、ダブルワークしてる。

そんな人間、ごまんとおるわ。




でもアカンのやろ。

人間的に立派で 面白くて 空気が読めて 親切にしてやらんと満足せんのやろ。

いいよね、そういう人は。私だってそういう人素敵だと思うもん。

仕事やったらいくらでもしたるわ。





でもさ。

それが必要じゃないときくらい、そっとしておいてよ。

私が私の思うように振る舞ったってええやろ。



ごめんって

人と同じようにできなくてごめん


やっと、ちゃんと、少しだけ人並みに近付いたんやけ

ほっといてよ

2015年2月1日日曜日

わざわざ貶しあって、なんか楽しいの?

人には感情がある。

ひとつの事象に対して、ある人は喜び、ある人は悲しみ、憂い、怒る。

人の数だけ、物事の捉え方は違うのだ。


会社や、家庭、地域など自分の属するコミュニティで、何かをしたい、その為の理解を得たいとき。

人には色んな捉え方があるから、自分の意思を通したい場合には、動かしたい相手の立場を理解することが必要だ。

「そんなの当たり前だ」と、

そう思いますか?


では、もし、そのことについて理解を得られず批判、非難、最悪の場合攻撃を受けたとき。


冷静であれますか?



――――――――――

感情、思想を通して論争することの必要性とは何か。

最近、それを考えます。

自分と意見の違う人間と対峙したとき、感情的になって、相手を論破し、結果的には屈服させ、服従させる。

それが目的になってしまったりは、しませんか。

自分の考えを受けれ入れて、同調してほしいからこそ働きかけているのに。

あるいは自分からではなく、相手からそういったアプローチを受けるかもしれません。

相手の考えに同意できなかったとき、自分と相手が同一の意見ではないことを、相手を感情的にさせずに理解してもらうことが、できますか?

理論的に、事実や統計に基づいた前提のある討論ならまだ簡単な話かもしれません。

けれど例えば、親子や夫婦などの親しい関係や、上司・部下、年長・年少などの物理的、社会的立場の差が存在する場合、

その話の本質よりも、相手との関係性で物事を判断したりはしませんか?

そんなことを延々と考えています。

私は、家族や恋人、上司に対して冷静であれないから。


反対意見にあったとき、悲しくなったり、怒ったり、どうでもよくなったり、します。

自分を理解してもらえないことへの焦燥感、苛立ち、孤独を感じます。

そして最後には虚無感に襲われて、傷つく。

けれど本当は、自分自身がその痛みを覚えたとき、相手にも同様の心の動きが存在することを忘れてはならないんです。

むしろ積極的に思い出すべきで。


自分が相手に働きかけることで、自分が望む相手の姿を得られないことに憤るのはとても身勝手なことだと思います。

けれど、「相手に拒否された、攻撃された」と思ってしまうと途端に感情的になってしまう。

そして相手にも感情があることを忘れ、力でねじ伏せることに目的が変わってしまうのです。


ひとは自らの知識、経験からしか思考できません。

自身が受け入れがたいと思う事柄に遭遇したとき、守りに入るのは自然なことでしょう。

それを否定してはならない。

批判されて悲しい、腹立たしい、憎い。それは相手にとっても同じこと。

否定されたからといって、同じように相手の感情を否定していては負の結果しか生まれません。

互いに確固たる信頼関係が築けていないのであればなおのこと、相手を認めなければならない。

相手の考えに納得できなければ、なにも無理にそれを理解し受け入れる必要はありません。

けれど、認めねばならない。

そうでなければ、自分も認められなくなってしまいます。


では、どうすれば拒否する相手に自分の考えを認めてもらうことができるでしょうか。

人が変わるとき、それは受動的な姿勢から能動的な姿勢に変化したときであると思います。

きっかけは何でもいい。

「どうしてそれが良いと思うの?」と疑問をもたせること、

「あなたの力になりたい」と魅力を感じさせること、

「同調すれば得だ」と利益を匂わせること、

「そちらの方がより安全だ」と安心を与えること。

何でもいい。興味をもち、相手に最初の一歩を踏み出してもらう。そこからが本当の理解の始まりになると思うのです。



極論を言えば、自分が相手にできることなど何もありません。

相手の思考、思想、価値観は永久に相手だけのものであり、自分の手には入らないから。

できることは、自分が正しいと思うことをただこなしていくだけ。

相手がその姿をどう受け取り、判断し、行動する(あるいはしない)のかは、全てが相手次第になります。

利害が一致すること、

安全が保証されること、

単純に興味を抱くこと。

それが行動の理由になります。


それは自らがそうであったように、自分の歴史を振り替えれば、積み重ねてきた思考の変遷だと気付くはずです。


無用の争いを避けるため、あるいは、互いに失望してしまわないように。

相手を認め、静かに自らが正しいと思うことをこなす。


それができれば、理想だなと思います。

2015年1月31日土曜日

セミ湿潤治療をしています

「湿潤療法」をご存知ですか?


皮膚の浅い部分にできた軽度の怪我、火傷などを

「消毒しない」「乾燥させない」方法で、再生させようという療法です(ざっくり)




具体的な方法としては


①怪我をした患部を流水でよく洗う

②ハイドロコロイド、ポリウレタンフィルムなど、ドレッシング材で患部を覆う

③定期的に傷口の洗浄、新しいフィルムへの交換を行う



簡単です。

超簡単です。




しかし注意点はありますので、次はそれを見て行きましょう。


○家庭での使用は軽度の擦過傷までに留める。病気・アレルギー由来の傷ならお医者さんに見てもらおう。

○傷口は徹底的に洗浄する。フィルム交換時も同様に。

○かぶれの原因となるため専用フィルム以外は使用しない。フィルムはドラッグストアの包帯・絆創膏コーナーで普通に売ってる。



こんなものかな。

湿潤治療に限らず、いかなる病気・怪我の家庭での治療行為は自己責任です。




さて、上記を前提に本題。

小さな傷ならきれいに治る湿潤治療ですが、私はニキビ対策に利用しています。
はい、早速注意事項と違うこと(アレルギー由来の傷)してますが、

自己責任ですから!

自分の顔やし!ははは!



あとは料理中の怪我や火傷、あかぎれくらいかな

数年前、海で遊泳中にクラゲに腕を刺されてできた15cmくらいの水ぶくれもきれいになりました。

湿潤療法は治療期間も短く、傷痕が残らないので助かっています。


手元の場合、傷が治るまでフィルムで覆っておくことができますが、顔はそうもいかないので、寝てる間だけやっています。

日々経過を確認して、傷がきれいに消えると嬉しい(*´▽`*)




うっすら見えるかな?クラゲの刺し痕。画像が荒くてごめんね!




普段なら言われないとわからないレベル。

今週も激務と寝不足、栄養不足でまた新たなニキビができてしまいましたので、手当て開始します。治り次第その経過報告もしたいです。





あ、最後に。


興味をもった方はきっと検索して調べたりするんだろうな、って思うんですけど、


血とか傷とか穴とか骨とか苦手な人は、


決して「画像で検索」は行わないようにして下さい。



この記事を書くにあたって検索したけどそれはもうえらいことになってました。

治療の経過が見たいという方は覚悟してどうぞ。

2015年1月27日火曜日

財布を入手しました。

先日欲しい欲しいと騒いでいた理想の財布ですが












































入手しました(*´▽`*)ヤッター



生産中止とかしてなかったです。私が見つけられなかっただけで(てへぺろ)



新しい財布に中身を移して(英世さんが2人お引っ越し)、今まで使用していた財布は診察券や保険証をまとめて入れておきます。




新しい財布と古い財布とで厚さが倍くらい違います。


これで鞄の中もすっきり。やったー(´。`)





すっきりしすぎて空いたすき間で鞄の中身がごろごろする…(´д`)

2015年1月22日木曜日

出会いの話2 「やりたいこと」を始めた結果



全てはここから始まった。





昨年。



HTLV-1(ヒトT細胞白血病ウイルスI型)の感染が発覚して

初めての春を迎えた頃の私は、





当時お付き合いしていた男性と交際を解消したり、
 (ウイルスの感染発覚で相手が不安定になってしまったため離れることに)

勤めていたバイト先を辞めて職探しをしたり、
 (ブラック企業怖いパワハラ怖い)

急に思い立って4泊5日の車中泊一人旅in四国に出たり。
 (知らない土地大好き!運転はもっともっと好き!)




とにかくまぁ、自分の周囲の環境を変えようと躍起になっていました。

目に見えない、起動するかどうかだって怪しい時限爆弾に怯えて、不安に追い立てられるように走っていました。





「やりたいこと」をやろう。

いつか、やりたくてもできない日が来るかもしれない。

「やりたかった」と後悔しないために。






そんな頃に始めたTwitter。


それまで政治や経済、社会の動きを「追う」ことに苦手意識を持っていたために、何だか社会と隔絶されたような生活を送っていましたが

社会そのものには関心を持っていたので、黙っていても自分好みの情報が流れてくるシステムの引きこもり支援ツールなツイッターはとっても便利なサービスでした。



それからは時事の話題を取り上げる講演会などに直接赴いたり、

著名人・学者・専門家などのブログや本を読むようになりました。



引きこもりが大きな進歩です。



昔からテレビや雑誌などでの情報収集には積極的になれなかったので、この辺りツイッターは良い媒体になっているなと思います。




そうしたなか、とある講演会を傍聴しに行ったときのことをツイッターで呟いた際、同じ講演会に参加されていた方からメッセージを頂戴しました。


講演会の感想、それに関連する諸々の話題について数度のやりとりを繰り返し、次第にお互いの情報を交換する仲に発展していきました。



……と言いつつ、実際には知識不足勉強不足の私が相手にあれやこれや質問したり教えてもらう立場だったのですけど( *´艸`)







興味関心が共通している相手とのコミュニケーションは、その内容も充実してとても楽しいものです。


その方を仮にAさんとしますが、Aさんと親交を深めていくなかで社会的なニュースの話題に限らず日常のちょっとしたことやプライベートなこともアドバイスを受けるようになります。


互いに顔が見えないことで、個人的な悩みや心情についても気軽に話すことができたんでしょう。




Aさんは(あえて深くまでは聞いていませんが)その言動から、思慮深く、多くの知識・経験を積んでいらっしゃることは容易に想像できましたので、当時の私にとってこの出会いは新鮮なものでした。





たかだかツイッター繋がり、しかも互いのバックボーンも知らない相手から本気で心配されるって…よくあることなのかも知れませんが、互いの価値観がやや近いために、Aさんの言葉は常にリアルな重みを持って私の心に響きました。





Aさんの心の支援によって、以後の私の運命は変わることになります。




こんな書き方をすると大げさですが、白血病ウイルスに感染して戸惑い、迷走する日々を送っていた私には新しい世界の始まりだったわけです。


Aさんご自身には人助けとかそんなつもりは無かったでしょうし、そもそもウイルス感染がどーのこーのなんて情報は知りもしなかった訳ですから、こんなことを言っても意味不明かもしれません。





けれど、Aさんとの交流を重ねた経験は今の私を形作る要素の一つであったことは間違い無いのです。





きっかけはどうあれ、「やりたいことをしよう」と考えて、「やってみた」結果、思わぬところから貴重な出会いが始まりました。


この後、私は再び多くの貴重な出会いを果たすことになります。




(ちなみにAさんとのやりとりは現在も進行中。いぇーい!Aさん見てるー?




2015年1月20日火曜日

引っ越しをしよう。(計画前)

引っ越しシーズンのピークを終える、初夏。
新しい住処に移ろうと思っています。






思いついたら即行動。

やりたいと思ったことをやれずにいると、日々悶々としてしまう性格です。(後先考えないタイプ)



「引っ越し」というキーワードが頭を掠めたのが、昨年末。

日を追うごとにじわじわと「引っ越したい熱」が上昇し、年が明けると引っ越し欲求が爆発しました。




引っ越し引っ越し!!さっさと引っ越し!!



とはいえ、急いては事を仕損じる、と(周囲に説得されて、)はやる気持ちを宥めつつ、
家賃相場が下がる掘り出し物物件を狙える5月の引っ越しを目標に、春までは計画・準備期間と定めることにしました。





そもそもなぜ引っ越す必要があるのか。

現状では何が問題なのか。




2015年1月現在、私は家族と暮らしています。

同居の目的は相互扶助。
家族と私の利害が一致したために、生活を共にしてきました。

複数人で一緒に暮らしていた方が防犯上安心だし、万一自分の心身の健康を損なうことがあればすぐに対応できる相手がいる。
それから、生活費も頭割りすることで一人当たりの負担が軽くなりますね。








それでも引っ越しを選択する理由。


このまま現在の土地に住んでいるのが、面倒だから



○職場が遠い

 昨年4月から働き始めた職場へは、自宅からドアtoドアで1時間半かかります。
 正直、地方都市ですから「えっそんなに遠くなくない?」なんて言われる距離です。でも遠い。私には遠いのだよ。

 家を出る時間も、仕事を切り上げて帰る時間も、全て電車の運行時刻から逆算しなければなりません。
 私の場合は乗換による時間差も発生するので、それも面倒です。終電があるから遅くまで働けないし。



○家族が煩わしい

 ごめんなさい。助けてもらっている立場で本当にこれはごめんなさい。
 書くべきではないのかもしれないけれど、引っ越しの理由に「家族」も大きなウエイトを占めているのです。

 「生活リズムが違う」「生活スタイルが違う」「生活水準が違う」ことで、家族に多大な心配をかけています。
 同居家族との収入に大きな開きがあるために、お金の為に昼夜働く私を家族は心配しているのです。
 お金を費やしたくないから、質素な生活をする私に様々な援助をしてくれます。それがいらない。
 家族の負担になるのなら(それが例え純粋な家族愛であっても)、いっそ家族の目の届かない場所でひっそりと自分のペースで暮らしたい。




主な理由は以上かな。

「一人になってミニマルライフを送りたい」というのもありますが、上記の理由が解消されることでその目的にも近づけると思います。






という訳で、目標である初夏の引っ越しを念頭にそれまでの4か月間は準備に充てたいと思います。

引っ越しの段取りのみならず、新しいライフスタイル設計、今後の人生設計も含め。



やらんことには、始まらん。

2015年1月19日月曜日

出会いの話1

昨年から現在にかけて、何の因果か、これまでの人生で無かったくらいの新しい出会いが増えた。





そもそもこれまでが人と関わりを持たなさ過ぎたんだけども。



私は小学校高学年~中学校二年まで完全引きこもりの対人恐怖症で、
高校短大でもコミュニケーション不足、社会人になっても紆余曲折あって、なかなかまともな人間関係が作れずにいた。



良好な人間関係ゼロとは言わないぞ。

こんな八方美人でも、見放さずに付き合ってくれる心優しく清らかな友人もいるのだ。
例え連絡を取り合うのが数年に一度でも。


大抵は友人の方から声をかけてくれるんだけども。
人間関係が希薄なのは完全に自分の努力不足です。本当にありがとうございました。




さて、どうして急に人間関係が拡がったんやろうと。

思い起こせば、きっかけはウイルス感染が発覚したことなのかなーと。



一昨年末、ウイルス感染が判って、心情的にいろいろ葛藤があって、やりたいこと、やるべきことができた。

それをやっていったら、どんどん人間関係が拡がっていったのだろう。
もともと面倒くさがりの性格だから、来る者拒まず、去る者追わずのスタンスでいる。

結果、相性の良い人とも良くない人とも、交流する機会が増えていった。





やりたいこと。

 →興味のある事にちゃんと向き合う。今やれることは今やる。
 →「女」として、「大人」として、人間的に「イイオンナ」になりたい。



やるべきこと。

 →年齢の割に高い生命保険の支払いや奨学金の返済、
  その他家族からの自立のための収入の確保。



性急すぎた面もあるけれど、これらをやっていたら、いつのまにか人と接する時間が多くなった。


今まで、「人が苦手」という理由だけで避けてきた人間関係が、
自分が「生きたいように生きる」ことを目指していく過程で、必要になってきたみたいだ。




たかだか数か月で出来上がった人間関係だけども、その出会いで得たものは多かった。



そんな出会いを、ちょいちょいこのブログに書けていけたらいいなー、と思っています。