先日、仕事を終えたあと
前職の上司に挨拶をしに行ってきました。
前職はいわゆる「職人」と言われるような仕事です。
工場は製造作業のために騒音・異臭が発生し、また、危険なものも管理しているために街中には作れません。
電車を乗り継いで、てくてく歩いて、福岡の片田舎へ行ってきました。
雨のなか、数年ぶりに降り立った通勤路はいくらか風景が変わっていて。
懐かしさを感じながら、確かな時間の経過を思い知らされるのでした。
門を抜けて構内に入ると、記憶のある機械音と有機溶剤のにおい。
ここは私が来る前から、去った後も、何も変わらないんだなぁと少し安心感を覚えました。
事務所に簡単な挨拶をしたあと、昔の自分の幻影を追いながら作業場へ向かいます。
当時はスッピンでツナギを着て防塵防ガスマスクを首から下げて歩いていましたが、今日はスーツにパンプスのいでたちで粉塵の舞うコンクリートの上を歩きます。
水洗式塗装ブースの傍らで、当時の上司は当時と変わらない姿で椅子に腰かけて作業をしていました。
大量の水と粉塵を吸い上げ大きな音を立てて稼働する塗装ブースに負けないように、声を張って上司に話かけると、すぐに自分だと気付いて笑顔を向けてくれました。
全国で最も速く、最も美しい仕事をする二人の技術者のもと、2年半の指導を受けられたことは本当に幸運でした。明確な目標があり、毎日が挑戦で、辛いけれど楽しかった。
けれど、その後赴任先である関東で業務とは全く関わりのないことで挫け、結果現場を去ることになりました。今では単に人間的な未熟さからくる失敗だったと振り返ることができます。
解決策はいくらでもあったはずですが、若かった私は変えられない環境に勝手に絶望して、勝手に逃げ出したのでした。
何もできなかった悔しさと、何も残さなかった後ろめたさをもちながら福岡に戻り、退職の日、挨拶をしに上司に会いに行きましたが、まともに上司へ顔を向けることができませんでした。
それから、数年。
当時の管理者と飲む機会ができて。
飲みながら管理者は本当に辛そうにいくらか当時の話をしてくれました。
「Masamiがあのとき訴えたことは、お前が辞めてから表面化することになった、ちゃんと話を聞いて、守ってやれなくて申し訳なかった」
「でもお前たちが頑張ってくれたおかげで、環境を変えることができた。無駄じゃなかったよ」、と。
その言葉をもらって、救われた気がしました。
辞めた後の数年間、ただただ自分が会社や同僚、上司を裏切ったことを苦々しく思い続けて、何も残さなかったことを悔やみ続けて、考えないようにしていたこと。
職を辞する結果になったのは私自身の弱さによるものですが、それでも、気付いてもらえたことが、そう言葉をかけてもらえたことでやっと肩の荷が下りた気がしました。
上司にちゃんと、挨拶しに行けると思えました。
数年ぶりの現場で、
粉塵を吸い込む塗装ブースの傍ら、
上司と互いの近況を語り合い、体調を心配して下さったり、ちょっと照れながらひとこと、「きれいになったね」と褒めて下さったのが印象的でした。
今は立場も違ってしまったけれど、3年間育ててもらった親のような人に、究極の美意識をもった職人に、なんのお世辞でもなく「きれいになった」と言ってもらえて、何よりも嬉しかったです。
数年ぶりの現場に立ち入ることはやはり少しばかり緊張しましたが、笑顔で迎えてくれた上司のおかげで、最後に自分で自分を許してやれるような気がしました。
それから、またちゃんと前を向いて歩いて行こうと思えました。
(・∀・)……。
(*´ω`)ふふっ。
本当に自分は恵まれているなぁ。
やさしい世界に生まれてきたんだなぁ。。
頑張らなきゃ、だなぁ…。
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