2014年10月22日水曜日

「カネを払う」は「敬意を払う」

お金の価値ってなんじゃらほい



紙切れや金属にそれそのもの以上の価値があるとするのは、「そういう約束だから」という信用に依るものということは皆さんご承知の通り。



接客を仕事にしています。

小売店やサービス業、飲食店など学生時代のアルバイトも含めて、多くのお客様に関わらせて頂きました。



私達(提供する側)と、お客様(提供される側)の関係というのは、お金で結ばれている訳です。

(総ての接客業において必ずしも金銭のやり取りが発生するというものではないでしょうが、ここでは便宜上。)


生々しくシビアな関係上、お客様それぞれの「お金」に対する価値観、或いは評価に触れる機会はとても多いです。


物事を「買う」ためのお金か、

物事に「払う」ためのお金か。


もっとわかりにくく言うと(!)
ただの紙切れや金属に、
「額面通りの価値を持つ」か、
「媒介として以上の価値を持たない」か。


お客様ご自身がその商品やサービスを得るために、どんな想いがあってのことか‥は、それぞれの嗜好や状況によって変化するものです。

なので、上記のような価値観も、その時々で変化しながら併せ持っているものと思います。




そんでこっから私の話。


自分が接客する側の人間であるというのもありますが、
私は自分の欲しいものを得るためににお金を使うとき、


その物事に関わる総ての人に、一緒に敬意も払いたいのです。


例えば、直接やり取りしてる店員さんだけではなくて、
その向こう側にいる、バイヤーや生産者、流通業の方々などなど。


そういった無数の手を渡って、商品やサービスが目の前に提供されるわけです。どこかで誰かが欠けてしまえば成立しない。



牛丼一杯にしたって。
家一件にしたって。

降って湧いたものじゃない。


全員にお礼は言えないから、心を込めてお金を払う。

せめても目の前の人に、笑顔と想いを返す。



それで何かが産まれる訳じゃないし、ただの自己満足なんだけど。

なんか、気持ちがいいんです。





_(._.)_ふぅ。オチなし。


これ書くの大変やった‥
語彙のなさで、上手いこと簡潔に伝えられないな。(´。`)ふぅ

タイトルとも微妙に逸れてるしw

なんとなくわかればいいやw(このブログはこの調子でずっとやって行きます)

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