2015年3月13日金曜日

たまには普通に日記?を書こう

なんか最近長文書きすぎじゃね?

って気がしてきた(´・ω・`)


読んでて疲れるっつーのよ。
仕事してただでさえ疲れてるのに脳みそ使ってらんないわよ。


内容もなんか結局何言いたいのかわかんないような感じに…


たまには内容が無いような投稿を書いて息抜きしないとね(´・ω・`)プーーックスクス



(´・ω・`)=3ップ



あしたやること。



○お気に入りの毛布の洗濯

○お姉ちゃんのお使い(クリーニングをとりにいく)

○アルトのバッテリー交換をお父さんにしてもらう

○描きかけの絵を描く



絵を描くのは今夜からでもいいかな。




おなかすいたなー。

早くおうち帰りたいなー。



21:31追記

あしたやること


○休日出勤



(´・ω・`)

2015年3月12日木曜日

収入差って恐ろしいんやで。

昨日引っ越しの理由を書いたので、それに付随する話をひとつ。


私はこのブログでお金の話をよく書きますが、本当は「お金に対する不安」から逃れたいのです。

そのために一人暮らしの計画をたてたり、自分の資産を明らかにすることでお金に対する必要以上の執着からの乖離を図っています。


この不安は将来や直近の生活について生まれているのですが、
正直、私自身は今の収入で生きていけないことはないと思っています。


それでもなぜ不安が拭えないのか。



同居している相手(家族)と自分の間に、収入の差があるからです。



奴らに付き合ってたら身がもたんのじゃ!



うちの家族には稼ぎ頭が二人います。

この二人は特に自分の収入について言及したことはありませんが、一般的に見て高収入の仕事に就いてます。役職からすればたぶん同年代の平均以上の年収は得ているはずです。

その家族である私としては誇らしいことです。
だって、二人がそれぞれに持っている経験、知識、技術に対する信用としての対価をお金として得ているんです。

(*'ω'*)そんな家族の一員だなんて、Masamiさん嬉しくってみんなに自慢しちゃう(しないけど)



とは言うものの…
この収入の差が生活水準の差となって私を苦しめる種になっています。


人より稼いでいる人間と、人より低所得者な人間(私)が生活を一にしてうまく行くはずがありませんよね




その差がみられるのは衣食住全てにおいて。

決して浪費家な家族ではありません。ただし使うところは使うし、そもそも金銭感覚が違います。


食事、買い物、旅行…同じことをしても、出てくるが違うんだよ!


そしてMasamiさんはとっても見栄っ張りです。可能な限りその水準に合わせて家族に付き合います。

いつもじゃないよ?できる時だけ。
でもその「できる時」のダメージがでかすぎるんですよ…!



私が家族の水準に合わせるのは、それぞれが自分で稼いだお金を自分の自由に使ってもらいたいからです。



とっても優しいこの二人は、自分以外の家族が困っていれば一も二もなくすぐに助けの手を伸ばしてくれます。

私にはそれがとても辛い。



他人から見て驚くほどの苦労と努力を重ねてきた二人を、私は産まれたときから見てきました。
家族にとって大きな苦難が何度も訪れて、そのたびに二人を中心に家庭を立て直して。

これまでそれだけの働きをしてきながら、未だ家族を心配し家族のために身をやつしているのではあまりにも不公平では無いのかと。



けれど今の私には経済力がありません。
こんなことを口にするのもおこがましい程に差がつきすぎて、私には何もできないんです。

せめて、可能な限り二人の負担にならないようにするしかありません。
心配性な二人のことですから、私のふところ事情を知れば遠慮してしまうに違いないし、金銭的な支援をすることすら積極的に考えるでしょう。




しかしこれがなかなか(笑´∀`)
悟られないようにするのが難しくて…。
努力はしてもすぐに限界がきます。だって生活水準が数倍違うんだもの(笑´∀`)

だから家族から離れて一人で暮らすことを決めました。目が届かなければ気づかれないし、私自身も無理しなくてよくなる。



そして互いに気兼ねなく、好きなように生活できるようになれば良いと思います。



収入の差って辛いです。
差が開けば開くほど、


頼ることも
頼られることも
頼られないことも


辛くなります。



家族だけに限った話ではないんですけど(笑´∀`)





私はもうちょっと 頼ることを覚えるべきだとは思いますが…もうずっと無理ですね。

2015年3月11日水曜日

環境を変えて心の安定を図る―引っ越しする理由―

そういえば引っ越しする理由について触れてなかったな、って思って。



このブログで初めて引っ越しについて書いたのはミニマリストに憧れてという投稿でした。


前回の投稿でも書いたように、ミニマリズムとは最小限主義のことで、ミニマリストは(様々な解釈がありますがここでは)必要最小限のもので生活することを目指す人のことです。

必要最低限ではありません。
個人によって必要とするものは異なり、また最小の単位も異なります。




私がミニマリストを目指す理由は、不要なモノ・囚われているコトからの心身の解放を得られるかもしれない、という希望的観測があるからです。


私が「捨てたい」と思っているモノ・コト。


執着・依存・欲、これらは満たされないことからくる不安によって生まれます。


一切の欲求を棄てたいというのではなく、小欲知足足るを知る人間でありたいと思うのです。



引っ越しによってまず真っ先に捨てるものは「家族との物理的な繋がり」です。


家族を捨てるんじゃないよー。自立するってことです、つまり。
今の生活は家族におんぶでだっこな状態で、それを私は是としないのです。


なんてったって娘想いの両親、妹想いの兄姉の家庭ですもの。
甘やかされて育った私には、社会人になっても家族の心配の種なのです。それが辛い。


私自身も家族を支えている側面はありますが、ウエイトに差がありすぎてアンバランスです。
というか重心が傾きすぎて逆に絶妙なバランスなんですけど。
更に言えばこの家庭は私を失うことでそのバランスを崩しかねないとも思う節があります。


その点についてはいつか書く機会があれば。



閑話休題。



一人暮らしの目的は「自立すること」です。

手段としてミニマリズムがあります。


そして最終のゴールは心身の安定を得ること。



引っ越しはその過程のひとつであり、いまだ見えないゴールを目指すためのスタートに過ぎません。助走は始めてるけど。









ていうか一人暮らしは今までの人生で2度してるんですけどねー。もとに戻るだけです。



初めての一人暮らしは学生時代。親の支援ありきのおままごとだったかもしれません。


二度目の一人暮らしは勤めていた会社の転属で。たった4か月という時間でしたが。


2011年3月11日、4年前の今日は翌日に控えた埼玉から福岡への引っ越しのために自室で荷造りをしていました。





もういちどあの頃へ戻ります。一人で生きることを目標に。


ご連絡☆彡コメントを公開設定にしました。

2015年3月10日火曜日

アルトが無くなったら困るってこと

生麩の美味しさは全世界に周知されるべき(真顔)






春の引っ越しに伴って、所有している軽自動車を処分する必要があります。

予定している引っ越し先は都心部なので、駐車場を確保することが難しいのです。
費用をかければ維持することはできます。けれど、今の私には当然ながらそれは自分の首を絞めることになって。


コストと趣味を天秤にかけて、車を手放すことに決めました。

それがとっても……辛いのです。





六年前に購入したスズキ アルト

就職後、通勤に必要になって運転免許を取得しました。
それから初めて手にした、私の車です。


ホンダが好きで、
マニュアル車が好きで、

でもホンダに限らずマニュアル車ってスポーツカーか軽トラしかなくて(´・ω・`)


他社で軽も色々あったけど、最終的に低価格でもデザインが好みなスズキのアルトを最初の車に選びました。



クラッチが浅くてブレーキの効きが強い、しかもシフトが入りにくい(笑)
初心者なのもあって、そんなアルトに最初は慣れなくて。

毎日、片道1時間弱の通勤で少しずつアルトの癖を掴んでいきました。


MT車だから燃費も自分の腕次第。
初めて25km/l出したときは嬉しかったなぁ。

シフトショックを出さなくなったら、今度は乗り心地を追求するようになった。
私の運転で同乗者が眠ってしまうと、ちょっと「してやったり」感。(笑´∀`)



そのうち運転そのものが楽しくなって。

ドライブに出かけるための理由を探しては、金曜日には仕事を終えたらそのまま長崎や鹿児島に向かって走ってました。


旅先でおいしそうな名物を買ったらそれをつまみながらまた走る。
神社や史跡を巡って、疲れたら近くの道の駅で目が覚めるまで寝る。


初めての長距離は大阪、次は埼玉、そして四国一周。
九州島内は少しずつ、行きたいところを見つけては走ってった。


家に帰る頃にはへとへとで、でもこの時間が終わることに焦りと寂しさも感じてました。




(´・ω・`)




もうすぐ終わりだ、この旅は終わるんだと思うと、寂しい。

夢から覚めて、明日からは現実に戻って

また自由でなくなるんだと思うと…寂しい。




アルトを手放したら、次に夢を見られるのはいつになるんだろう。

いつかアルトと見た景色を

もう一度アルトと見ることは叶わないんだなぁー。と。




(´・ω・`)




廃車まで乗りたかった。






(´・ω・`)不甲斐ない持ち主でごめんよ、アルト




引っ越しまでの期間は、なるべくアルトでのドライブを堪能するつもりです。

時間もお金もないけれど、どうにかこうにか捻出して(笑)



引っ越し後のアルトの行先はまだ決まっていません。

家族が必要とすれば譲るかもしれないし、どこかに引き取ってもらうかもしれない。



できれば私の知ってる人に譲りたいけれど、それはなんか未練たらしくもあるなぁなんて。





うーーーーん、それにしても

アルトを手放したあとの私の心の安寧はどこで得られるんだろうか…(´゚д゚`)w

2015年3月9日月曜日

確定申告で美味しいものを食べよう―今年はふるさと納税を―

春だ!確定申告だ!

還付金でおいしいご飯を食べるよ!




フンスフンス(`・ω・´)=3




と言うわけで、所得税の確定申告しました。

昨年は国民年金、国民健康保険料を納めていた時期が短いながらあったのと、個人加入の生命保険があるのでそれを併せて申告。




合計で¥10,456-の税金が返ってくるよー!




ありがたやありがたや(´;ω;`)




このお金で、ふるさと納税をするのだー



ふるさと納税(ふるさと寄付金)は都道府県・市区町村に対する寄付金のうち2,000円を超える部分について所得税と合わせて全額が控除されます!(収入などにより限度額あり)


私の昨年の年収は200万円でしたので、まぁだいたい1万円くらいが寄付の目安かなーってところですね。



んー、じゃあこのお金をどこに寄付しようか、って話ですが。



宮崎県、高知県などの個人的に好きな場所…

両親の出身地で私自身のルーツである鹿児島県と長崎県…



いろいろ候補はあるけど、応援したい自治体にお金という形で貢献したいものです。



広島県の土砂災害、長野県の御嶽山噴火、東日本大震災がぱっと浮かびました。

けどきっと私が寄付しなくっても心ある人がみんなしてくれるだろうと思うので、そこはまぁいいかなと。




というわけで、世間的にはきっとマイナーで地味な扱いをされてる、でもとっても大切な問題を抱えてると思う以下の自治体が最終の候補になりました。




広島県隠岐郡隠岐の島町

和歌山県東牟婁郡太地町

長崎県対馬市

沖縄県与那国町




どの自治体も縁もゆかりもないけれど、気になる場所です。



この中で私が寄付先に決めたのは太地町


なぜって?それはね……(フッ)





鯨が大好きだからさ!

(食べものとして)





ふぅ……(´・ω・`)





ちなみに、太地町は5,000円以上の寄付でこのような記念品を送ってくれます。

今回の投稿の表題は「確定申告で美味しいものを食べよう」なので、食品を指定すれば目標達成ですね!(*´ω`*)




手続きを終えたら、ふるさと納税の様子もレポしましょうかねー。



確定申告はとっても簡単だから、

みんなもふるさと納税しようぜ!!!!!!

2015年3月5日木曜日

引っ越し準備−冷蔵庫考−

一人暮らしで一人用冷蔵庫って、

ぶっちゃけいらないよね??(゚∀゚)


「貧しさこじらせてついに普通の生活やめるのか」、と言わず読んで…(*´∀`*)


一人暮らしで自炊するって前提で。

実際のところ一人用冷蔵庫って、


小さい

→小さいと内容量少ない

→スペースないと買い置き作り置きの食品詰め込めない

→詰め込んだら冷えない



冷えない。



つまり場所とって電力消費して、ちょっとひんやりしてるだけのただの箱じゃねーか!



何より冷凍庫狭いし!(重要)



「あら♪鶏胸肉2kgが特売で980円だわ!お買い得ね♪」

なんて軽い気持ちで買って帰って冷蔵庫に入らないなんて悪夢だわ!


そもそもそんな量買うなとかこまめに買い物行けとか無しで。

ひと月を生き抜くための食材を「どれだけ安く買えるか」は低所得者には死活問題だからね!(`;ω;´)




去る2010年11月、私がまだ正社員だった頃…

九州から埼玉への赴任で人生2度目の一人暮らしが決まったとき、新しく揃える家電で最も悩んだのが「冷蔵庫」。

短大時代に使っていた1人用冷蔵庫で痛い目を見た私は連日家電メーカーの各種冷蔵庫を物色し、検討に検討を重ねていた。



「キャベツ一玉入れたらもう何も入らない冷蔵庫なんてこりごりだ!」なんていう想いを胸に、たどり着いたのは…



天下の三洋電機が贈る、至宝SR-D27Tダァーッ!!(生産終了)



容量270リットル、2〜3人家族を賄える大容量…しかしながら彼のもつ特徴はその冷凍容量

片開きのドアを開くと100リットルもの冷凍スペース
3段の引き出しケース浅型1段、深型2段の無駄のない設計…

ジップロックに入れた食材や市販の冷凍食品が「立てて」入れられるんだぜ…!





……ふう…(´・ω・`)この冷蔵庫があまりに素晴らしすぎて熱くなってしまった


その後5年間で結婚したり離婚したり出戻ったりして同居人が増えたり減ったりしましたが、彼は今も現役で頑張ってます。

いやぁ、私がこの27年の人生で買ったもののなかでも満足度トップ3に入るわーナンバー1はアルトだけどー


さて、
今回人生3回目の一人暮らしなわけで 例によって家電の取捨選択について考えを巡らせています。
で、今のところの仮の答えが冒頭の


「冷蔵庫いらないんじゃね?(´・ω・`)」


前述の270リットル冷蔵庫、使い勝手は良いけど なにせ持ち主である私がその性能を持て余してるんです。ていうか今家族と同居してるし料理してないんだけどさ


冷蔵庫内はほとんどが調味料、他に冷凍できない食材が入ってあとは空きスペース。

冷凍庫はだいたいミッシリ詰まってます。



(´・ω・`)……



100リットルの冷凍庫がみっしり、

170リットルの冷蔵庫が半分くらい空いてる…






あれ(´・ω・`)これ冷蔵庫いらなくね?


100リットルの冷凍庫だけあればよくね?(´・ω・`)


冷蔵機能はクーラーボックスに氷詰めてしのげば…


いけるんじゃね?(´・ω・`)






何を言ってるのかわからねーと思うが、


私も自分が何を言ってるのかわからない







いや マジマジ(´・ω・`)これ要検討なんだけど実際やってみないとわかんないっちゅーかね?


っていうかね?

そもそも今使ってる三洋電機の冷蔵庫のね?

後継機がなくてね?

したら三洋電機さんから白物家電を吸収したPanasonicさんにこんな商品があってね?





もうこれしかないって思ったわ(´・ω・`)




だって500mlペットボトルが「立てて」入れられるんだぜ!







(´・ω・`)……。





春までに検討すべきことがひとつ増えたわー。忙しいわー(´・ω・`)

2015年3月3日火曜日

求められるのは表現力-相手の「読解力」に失望しない



ブログを書いていて、たびたび文章の書き方に悩まされることがあります。

読んでいる相手がわからないと、どう伝えたものかもわからず難しいですよね。画面の向こう側にいる、姿が見えない相手に誤解を与えないように配慮して言葉を選ぶという作業はなかなかに骨が折れます。




ネットを介して公にしている以上、誰かがその文章を目にするわけです。
書き手当人にそのつもりは無くても、時として見知らぬ誰かに多大な影響を与えているかもしれません。


だから自分の書いた物に責任を持てという主旨のことを言いたいわけではありません。それはずっと以前から言われ続けていることですし、表現したものへの責任とは、ネットでも他の媒体でも変わらずそこにあるものです。



私が、問題視、というか今後自分がもっと注目すべきでないかと思うのは、



「相手に伝えたいことが伝わらない」

そんな場合があること、もっと悪いのは

「相手に伝えたかったことと違う解釈をさせてしまう」ことです。



自分が本当に伝えたいことを理解してもらうには、読み手が自分の分身でもない限り不可能なことかもしれません。
けれど、書き手の意図しない解釈を読み手にさせてしまうことは、時として互いの、或いは第三者の不利益を生じることだってあり得ます。

そうなってしまっては、再度相手に理解しなおしてもらうことは難しくなってしまいます。


自分の言葉が正しい意味を成さず空回りしてしまうのは寂しいですよね。



それでも言葉を発している方は、いつだって相手任せになってしまうのです。

その言葉の意味をどう解釈するかは当然ながら読み手次第ですし、読み手の知識や経験、感性がその解釈に影響を与えます。


であれば書き手は可能な限り、万人に理解されるよう単純な言葉を選び、想像を巡らせ知恵を絞って文字を綴らねばいけなくなってしまう。


けれど、執筆によって生活の糧を得るプロでもない限り、ただの一般人が趣味の範囲で書く物をそこまでして精査する意味があるのでしょうか。

答えはイエスです。ただし、「万人に理解される」必要は決してありません。


伝えたい人に 伝えたいことが 伝われば良い。


明確にすべきは「誰に」「何を」「なぜ」伝えたいのか、だろうと思います。

書き手である自分が、それを確かな物にすれば、自然と言葉は紡がれて、伝えたい対象にもより明解に伝わるようになるはずです。


友達に今日のあった面白い出来事を共有して欲しい、

同じ趣味をもつ人に自分の価値観に共感して欲しい、

自分の達成したい目的のために、それを理解してくれる人に協力して欲しい。

何でもいい、伝えたい対象が明らかになれば、その対象に則した表現、言葉選びをするようになります。



それでも伝わらないことは当然ありますが、
伝わらないことを相手のせいにしてはなりません。

自分が書き出したその文字列から意図を汲んでもらえないのは、前述したように相手の知識や経験、感性に則っていないからで、それは必ずしも相手の落ち度ではないからです。


相手の読解力を疑う前にまず自分自身の読解力を持って自分自身の表現力を疑うべき、そうありたいと思います。




それがなかなか、というか難しいんですけど(笑´∀`)


今回の投稿もそうですが、私は誰にともなく宛てた手紙のように、一人語りの文章をよく書きます。


自分の感性が人に受け入れてもらえるはずがないと、驕っているからです。


それでも書きたいのは、やっぱり誰かに受け入れてもらいたいからで。


書く以上は読めるものじゃないといけませんよね(笑´∀`)

これまでつらつらと書いてきたようなことを、これからも肝に銘じていきたいと思っています。











ところで…
幸いなことに、私を構成するものを受け入れ、理解して下さる方に少ないながらも巡り会えています。


そんな方々に、ありがとうとお伝えしたいです。

どうかこれからも、おつき合い下さい。